誰が許さなくてもいい 彼が許してくれるなら
象牙の装飾を施された天覧の扉が、ゆっくりと開く。
それに伴い、最初は細く入っていた光が、段々と天に照る。
眩しすぎる光の色は、白や黄色など単色で表せるような物ではなかった。
無限に広がる光色。
全てを覆うその色に包まれて、俗に言う逆光を浴びつつも、淀みなく歩く人物がいる。
急ぐわけでもなく淡々に、でも確実に足を進める。
彼の向かう矛先はルークで、足と同様に抱いたものも真っ直ぐだった。
細い光が彼を映し出し、純白のヴァージンロードに反比例するように、漆黒を基調とした布地の中にもどこか品位の漂う軽装に身を纏っていることに気がつき、次には
段々と彼が一体誰なのか、ルークにはわかってしまった。
期待なんてものは、微塵も持っていなかった。
でも、淡くも最後まで持ち続けてしまった幻想が現れたのかと思ったのに、確かに彼はそこにいて。
カツンッ
と、その靴音と共に彼の足が止まった。
まるでその瞬間、そこだけが別空間のように放たれて、ルークと彼の二人きりの空間になったのかと思った。
歪んだように保たれる空間だけではなく、礼拝堂内も沈下する。
「おまえの、本当の望みはなんだ?」
彼がルークに問う。
ただ、乱雑に漠然に。
これで彼の真意が掴み取れるほど、ルークは冷静ではなかった。
でも…この目の前にある事実だけは信じてもいいと思った。
「俺……望んでもいいのか?」
震える唇と同様に言葉も震えて、視界もぶれた。
地位も名誉も栄光も、既にルークは持っている。
だけど、本当に欲しかったものはそんなものじゃない。
全てを捨てても、たとえ世界中の批判を浴びても、得たいものが目の前にあった。
もしかしたら、心のどこかで密かに抵抗したのかもしれない。
想うことが許されないのなら、この気持ちは捨てなければいけないと思っていた。
でも、狡賢い様にずっと抱いてしまっていた。
その名さえも、呼ぶことが許されるなら
望んでもいい。と許されるなら
ルークの問いに、彼は答えず、閑寂に肯定の意図を含む眼差しを向ける。
沈黙は暗黙の了解である意を示し、視線でルークの次の言葉を促した。
だから、もう遠慮をする気持ちなんて一切なくなってしまって、押しとどめていた気持ちをルークは全てぶちまけた。
「俺は……俺は、アッシュと一緒にいたい!」
最も望んだアッシュの存在を確かめるように、ルークは切実にそう叫んだ。
共に居たい。生きたい。
自分の気持ちを、拒めるわけがなかった。
だって、これがルークの本当なのだから。
「だったら、来い。ルーク!」
通る声で静かに叫んで、アッシュはその右手をルークに差し出す。
ルークの名を認めた。
ルークの存在を認めた。
こうやってここに来たことで、アッシュの心の葛藤は終わった。
これが、俺が望んだ…俺の答えだ。
一度は手放した。
だから、もう一度掴み取る。
気づかせたのは、他ならぬルーク自身なのだから。
この言葉に嘘、偽りはなかった。
アッシュが、確かにルークに向かってくれている。
こうやって差し伸べられた手は生まれて初めてで、一生ないことだと思っていた。
アッシュを目の前にすると何も抗えなくて、その瞳に捕らえられて。
もう…理由もいらなかった。
アッシュがここにいるのだから、いてくれるのだから、それに上回るものなんて何もない。
俺の心は、そんなに脆いものだったのだろうか。
決心したのに…心が揺らいで。
ああ、駄目だ。
俺はやっぱりアッシュが好きで仕方がない。
あらゆる感情の何者よりも上回るその気持ち。
自分の気持ちに嘘はつけない。
足を、踏み出していいなら。踏み外していいなら。
ルークの最初の一歩である左足が、ゆっくりと動く。
足音を立てるわけでもない静かなその一歩が、かどわかされるように足が進んで、無意識にアッシュの元に走っていた。
その足がきちんと動いているかとか、そんなことはもう本当にルークには、わからなかった。
アッシュの元に、飛び込むしかなかったから。
ドサリッ
と、その腕の中に堕ちた。
「遅い。」
アッシュの怒ったような声が、ルークの頭上から聞こえた。
「アッシュ、ルーク。」
ルークの背後から、聞きなれた声がかかる。
「父上、母上……」
声をかけたのは、ファブレ公爵とシュザンヌであった。
ルークは、アッシュに抱きついていた体勢を少し整えて、両親に向き合った。
「いってらっしゃい。たまには二人とも、顔を見せてちょうだいね。」
シュザンヌが、やわらかな安堵したような表情を浮かべつつ、そう言った。
その言葉が意外で、ルークは驚きに目を見張る。
「今まで、色々としがらみに捉えられていたのだから、家に縛り付けられることはない。
お前たちはもう十分に尽くしたのだから、お前たちの人生を生きなさい。」
ファブレ公爵が言葉を続けた。
自分を幸せに出来ないのに、他人を幸せになんて出来るわけがない。
幸せになってはいけないことなんてない。
「ありがとうございます。行ってきます。」
今生の別れではないのに、そう言ってもらえたことがうれしくてアッシュとルークは言葉でそれを返した。
開かれた扉から巣立つように、二人は足並みを揃えて飛び立った。
ありがとうの、さようならだった。
礼拝堂から外に出ると、たちまちに清々しい空気に包まれた。
何もかもが二人を祝福しているように、感じてしまう。
こんな気持ちでこうやって、歩いたことはない。
浮き足立つように、アッシュとルークは歩く。
二人が一緒にいて歩いているのだから、他に必要なものなんてない。
バチカル港まで下りてきたが、すれ違う人々はほぼ皆無。
それは、まだバチカル城に押しかけている人が多い証拠で、港もほとんど人がいなかった。
用意周到に手配してあったのだろうか。
待ち構えていた船の甲板へと、先にアッシュがトンッと乗り込む。
もう自分は相当に駄目なのかもしれない。
ルークは、その優雅で軽やかなアッシュの仕種にさえも、眩暈のする空間に揺らいだ。
そして、幸せすぎるからこそ、訪れる不安。
「アッシュ。俺、本当に…一緒にいてもいいのか?」
二人で船に乗り込む直前、ルークは不安に駆られて最後の念押しをした。
「この期に及んで、渋るのか?」
ルークの意外な言葉に、少し眉間にしわを寄せる。
少し声の質を落として、アッシュはやれやれとした表情を見せた。
「だって、邪魔したら…」
あれだけ盛大に式典を止めて来てくれたとはいえ、アッシュの元に側に居てもいいのか、未だに夢のようで確信を得たとは思えないことがルークにはあった。
「はっきり言わなかった、俺も悪かったな。」
アッシュはルークに向き直って、対峙した。
たった一つの、最高の鏡が目の前に存在する。
「今までおまえを認められなかったのは、この胸にある感情を認めることが出来なかったからだ。
だから、好きになってやる。」
自分の気持ちもルークの気持ちも同じことを、認めよう……好きだというこの感情を。
この気持ちこの感情に、好きという名前をつけよう。
命令形のようなその言葉が、とてもアッシュらしくて。
「………俺も、やっぱり好きだよ。」
呆ける頭が到来して、泣いたように笑い、ルークはその言葉に答えた。
臨界点が突破したように、とめどなく流れる涙。
もしかしなくても、一生分泣いたのかもしれない。
「だったら、俺だけを見ていろ。」
真顔でさらりと、アッシュは言い放った。
不意打ちのような反則のようなその言葉を耳にして、ルークは恥ずかしくてその瞳を見ていられなくなる。
こんなにはっきりと真っ直ぐな瞳を向けられたのは、他の誰だってなかった。
絶対に今、最高潮に赤面している…と自分で確実にわかった。
顔を隠すように俯いた瞳を伴って、ルークはアッシュのいる甲板へと飛び降りた。
「大丈夫。元から俺は、アッシュしか見えていないから。」
そうして…
アッシュの耳元で、そう呟いた。
今まで、二人の距離は近すぎて焦点が合わなかった。
誰よりも近き存在。
一番近いからこそ、遠い存在。
だからこそ、余計にお互いが見えない。
本当はこんなに近くて、惹かれあっていたというのに。
そう、やっと歩み寄れた。
二人の本当の望みと想いが繋がった。
これから行く先には、二人の未来が広がっている。
アトガキ
花婿奪還成功。 一応、続きがまだあります。
2006/05/01
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