心が、彼に囚われすぎていた
本当に段々と、モノを考えられなくなっていた。
意識が途切れ途切れになり、表に出ているもう一人の自分の声を聞くことさえもままならない。
段々と消えるのなら、いっそさっさと消えてしまえばいいと思ったのに、名前を呼ばれた。
そう確かな自分の名前を。
「アッシュ!!!」
また呼ばれ、無い筈の身体を揺さぶられるような感じがした。
同じ声色の声で叫ばれ、幻聴だろうと思い、瞳を開けた。
「…レプリカ、か?」
顔面にあったのは、鏡に映ったのとは何か感じが異なる自分の顔。
でも、違うと思えるのは泣いていたから。
自分は決して泣きはしない。
他人のためにも、自分のためにさえ泣く涙など、ないのだから。
「アッシュ!アッシュ!!アッシュ……」
そう、名前を呼び続けられる。
本当に一生分呼ばれているのかと思うくらいだった。
それしか、言わない。言えない。
「なぜ、お前がいる?」
海中とも無重力とも思うことの出来ない世界で、アッシュとルークは浮かんでいた。
懐かしいような見覚えがあるような場所でもあったが、そもそもアッシュとルークが別々に存在するなど出来得ないことである筈なのに。
「俺、どうしてもアッシュと話したくて…
アブソーブ ゲートから地核に落ちて、今こうやっているんだ。」
本当は、こんな形での再会は望んでいなかった。
きちんとした存在で会いたかった。
でも、こんな無理やりな手段を取らなければ、どうしてもアッシュに近づくことが出来なかったから。
「俺は、お前と話すことなんてない。」
そのことは、ジェイドに何度も言った。
「俺にはあるんだ!お前、このままじゃ消えちまうんだぞ。」
鬱陶しいと思われているのはわかっているが、ここで引き下がれるわけがなかった。
どんな手段を用いても生きてもらいたい。
誰よりも、いや何よりも。
消えるとわかっているのにそれを選ぶのは、あまりに残酷すぎた。
「それがどうした?好都合だ。」
消えることを当たり前と捉える。
「なんで……なんで、そんなふうに思うんだ!?」
思えることが出来るのか?
人間はいつしか生という呪縛から解き放たれ、いつかは死を迎える。
必ず訪れることなのだから、“生”にしがみ付く事がそれほど大切なことだとは思えないのかもしれない。
それでも、それでも周りは悲しむ。
生きていて欲しいのだから。
「ヴァンの計画に近いようなことを、実現させないためだ!」
ルークの疑問にアッシュはそう吐き捨てた。
「ヴァン師匠の計画?何のことだ?」
唐突に出てきたヴァンの名前に、ルークの思考は颯爽には回らなかった。
全ての人が星の記憶に定められた運命という名の人生を全うしていると考えたヴァンは、星の記憶のないレプリカによって世界を救おうとした。
それがレプリカ計画。
しかし、エルドラントでルーク自らがその手でヴァンを下し、計画は阻止された筈だった。
「おまえ……レプリカ計画だけがヴァンの計画だと思っていたのか?
ヴァンがレプリカの世界を作るって言ったとき、オリジナルであるヴァン自身はどうするか考えたことはないのか?」
「え?」
アッシュの言っていることが、ルークにはよく飲み込めなかった。
レプリカ計画…それは、あくまでレプリカだけの世界であるからして、星の記憶を持っているオリジナルは、ゆくゆくは排除されるのだろう。
もちろん、レプリカ世界の構想者であるヴァン自身も例外ではないであろう。
それはわかっていた。だけど…
「ヴァンは自分の完全同位体を作って、大爆発を発症させてレプリカの世界を生きようって魂胆だったんだよ!」
大爆発が発症すると、完全同位体の被験者が死んだときに音素乖離をして、レプリカに乗り移るような形を取りオリジナルとレプリカ双方の記憶を持って生き残る。
レプリカに成り代わった、星の記憶を持たないオリジナルの世界。
それが、ヴァンの狙いだった。
ユリアの預言に縛り付けられていない身体。
それなら身体は違うが、本質は変わらない。
それは素晴らしい理想の世界なのかもしれない。
でも、それでは今度はオリジナルではなくレプリカを殺すことになる。
生まれてきてしまったものは、たとえどんなちっぽけな存在であろうと、生きる権利が与えられるのに。
「もしかして…ヴァン師匠は、生きているのか?」
ルークもジェイドから説明を受けたくらいなので、詳しくはわからないがこれなら確かにある意味あのヴァンが生きている可能性があった。
「いや、俺たちが邪魔立てをして計画が早まり、完全同位体を作る研究が間に合わなかったから、それはない。これは他の被験者も同じだ。
だが、俺とおまえは違う。完全同位体で、被験者である俺は死んだ筈なのに生きている。」
完全同位体の量産が実現可能かどうかなんて、確実にはわからなかった。
だが、過去に作ったことがあるのだから、全く全然出来ないという思惑はなかった。
未来がどうなっているかだなんて、誰にもわからない。
「俺は死んだんだ、満足に。そんな現象にしがみついてまで、生きたくはない。
ヴァンの理想の世界を少しでも再来させるようなのは、ごめんだ。
何もかもヴァンの思い通りになるなんて冗談じゃねえ!」
それこそが、アッシュが死を選ぶ理由だった。
アッシュとルークの間に大爆発は発症しなかったのかもしれないが、死んだ筈のアッシュは生きている。
アッシュとルークが完全同位体なのは、本当は偶然だったのかもしれない。
でも、それさえもが仕組まれたことのように感じるのだ。
ヴァンの、手の平の上で踊らされている人生のように。
それに、一体どれだけの価値がある?
死しても尚、ヴァンの理想は残るのか?
「どうしても…どうしても、消えることを選ぶのか?」
アッシュを取り巻くもの全ては、誇り。
揺ぎ無い志は、孤高すぎた。
確かな信念を持ち、全てをわかり、そして死を受け入れる。
それはルークにも、切ないが痛烈にわかった。
でも、だからと言ってルーク自身がそれを甘んじて受け入れられるものでもなかった。
「選ぶ。」
短く切ったアッシュの答え。
それに全てが集約されていた。
貫くその強固な意志
変わらない
変えられない
変えることが出来ない
もう、時間はないのに
アッシュを止めることが出来ない。
その、自分の力の無さをルークは痛烈に知った。
いつもは強いアッシュの存在が小さく感じて、アッシュが消えてしまうことが、ここにきて強烈にわかる。
最後に、姿を見れることができた、理由が知れた。
それだけでも幸せだったのかもしれない。
やっぱり贅沢だったのだろうか?ルークの望みは。
あふれた涙が落ちない。
どこまでも、浮いた。
ああ……
アッシュが消えてしまったら、もう
姿が見れない
声が聞けない
話が出来ない
ア ッ シ ュ が い な い
そんな世界で、どうしろっていうんだ?
ガチャン
何かが、ルークの心の中で音を立てて壊れた。
「………オリジナルを犠牲にしてまで、生きたいとかそういうのじゃない。
アッシュが生きているからこそ、俺も生きていたんだ。」
レムの塔で、ルークは生きたいと思った。
それでもあの選択を選んだのは、アッシュが生きてくれるならそれで十分だと思ったから……
「何を言ってやがる?」
いきなり、喋りだすルークに今度はアッシュが掴めなくなった。
一緒に生きて欲しかった。
でも、このままじゃ………アッシュが良くてもルークが…ルーク自身を許せなかった。
「アッシュのいない世界は、俺にとって価値はないよ。
アッシュが死ぬなら、俺も死ぬよ。」
再び、アッシュが消えるのを見るのは怖いから
うれしくないほど慣れた手つきで、ルークは剣をするりと引き抜いた。
いつものようにその剣を左手に持つが、構えなかった。
早くやろうとしているのに、何だかそこだけスローモーションに見える。
「おいっ!てめえ、何しやがる?」
アッシュの制止の言葉も行動も、何もかもが間に合わなかった。
ルークは、その剣を自身の心臓に突き刺した。
あっけなく…
そして、ガラスのように一瞬で脆くも崩れた。
澄み渡る――透き通った翡翠の瞳が閉じた。
彼がそれを望まなくとも、もう一人の彼はそれしか選択はしなかった。
アトガキ
2006/02/07
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