ひと時の安らぎと談笑を得て、時間は去り行く。 流れる風は穏やかで明るく、三人の打ち解けた会話は弾む。 自由が利く者は機を見てわざわざここまで来てくれたりもするのだが叶わぬ者も多く、それ以上な仲間の様子や世界の情景の話は、溢れるばかりの心の潤いをルークにもたらした。 懐かしく近くに在ったものの話は、何よりの幸福。 自分が被害者だとか悲観的に考えているわけではないが、ここに縛られることでその平定が保たれるなら本望すぎた。 「立場的にこちらには来られませんが、ファブレ公爵やシュザンヌ夫人もあなたのことをとても心配していますよ。たまには、きちんと手紙でも書いてみたらどうですか。」 折り合いを見てジェイドは用件の一つを示し、同時にどこにもっていたのかはわからないが荷物の中から羽ペンや上質な羊皮紙など一式をルークに差し出した。 余計に心配させてしまうかもしれないという理由で、ルークはあまり両親に手紙を書かなかった。 慣れぬ地に一人きりで会う事は叶わない――― 多分、アッシュとルークのこの状態に一番反対したのが二人の親であろう。 心配をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだが、次第にわかってくれると信じたい。 「ありがとう。」 そう思いを込めて、ルークは手紙を書くことにした。 ジェイドとピオニーに見張られるように後ろにいられて駄目だしされるので、今まで照れくさくて書けなかったことが、成り行きで無理にでもと強要されるように書いてしまう。 おかげで正直になれなかった文面とは違う、これが本当の自分の思いだと、すんなり書ききることが出来た。 『代わり映えのない日常かと思っていましたけど、皆が色々としてくれるのでそれほど不便もないです。』 最後にそう〆てサインを施すと、羽ペンを机の上に置く。 インクが乾いたのを指で確認すると、羊皮紙を折りたたみ簡易的に封をすると、ジェイドに手渡した。 「じゃあ、これで。」 「必ずお届けしますね。」 差し出された手紙を、ジェイドはしっかりと手に持ち預かりを賜った。 それは、時間もずいぶんと過ぎた後の、遠のく足を示唆するような手紙の受け取り。 ゆっくりしてもらえるような場所ではないのは重々承知で、それでも名残惜しさが残る。 「また、来るからな!元気でいろよ。」 最後にピオニーが一番に大手を振った。 後ろ歩き出来る限界までそれは続いたが、やがては姿が消え行くだろう。 だからこそ、二人がわざと足並み遅くしてくれたのに気が付く事が出来た。 ルークは、それでも消え入るまで二人の背中を見送る。 見送り続けるのは、他に見るようなものがないからだった。 「また、一人か。」 ぽつりと弱音が出てしまっても、聞き取る人間は誰もいない。 もういい加減に慣れろとは思うけど、一度得たぬくもりは残るから厄介だ。 「アッシュ………」 この世界で独りきりになってしまったのかもしれない錯覚にも陥るが、例え世界に忘れられた存在になり行こうとも、彼がいるから耐えられる。 会えなくても、好きは変わらない。 そう思い込ませるしか、ないのだから。 瞬く間に過ぎた数ヵ月後。 パッセージリング起動の任でティアが訪れてくれたときに渡された手紙は、抱えきれないほどの量があってどれもが分厚く、寸に封をするくらいの返事だった。 両親からはもちろんのこと、ジェイドやピオニーからなどのたくさんの手紙に溢れかえっていた。 「持ちきれないかと思ったわ。」 というティアの微笑さえも嬉しかった。 邪魔にならない程度に添えられた白い花々は、自生を許さない無機質な立地に温かみを加えたのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 今日も、同じ出来事の繰り返しの筈で。 ピリッした頭痛からルークの輪廻が始まる。 信号を感じると、少し左手で頭を抑えて実感した。 それは折りたたみ式の簡素なベッドに横たわって、皆からもらった手紙を何度目か読み返したときに起こったもので、ルークは身を上げて慌てて時計を見て時間を確認する。 不味い。気が飛んでいて、もうこんな時間になってしまった。 ベッドから素早く飛び降りて手早く準備を開始する。 いくら急いでいても、もらった手紙を丁寧に折りなおして戻す事は忘れずに、ひとまずとして机の上に置いた。 さすがに整理は戻ってきてからの二の次として据えた。 身一つで良いのが最大の好点かもしれないと思いつつ、場から出て足を急がせる。 ルークが今まで居た場所は、はたから見れば仮住まいみたいな家だろうが、もう数ヶ月ここで寝起きしている立派な場所だ。 元々、降り立つ足元さえも黒曜石を叩いたぐらい綺麗な石が使われて、空間に浮かんでいるとしか思えない情景なのだ。 神秘的すぎる雰囲気しか漂わないので、本来ならば勝手に物を置くことさえもしていいような場所ではないのだろうが、ルークとて侵食するために足を踏み入れているわけではないので、ここは創世暦時代の創建者方にも大目に見てもらうしかない。 それでも、人間が住めなくはないのが幸いだった。 駆け足で空間のひずみを利用したと思われる移動を一つすると、目的のパッセージリングが広大に現れる。 音譜が飛び交う果てしない広がりの中であり続ける巨大物は、ダアトでよく目にしたローレライの印章が随所に刻まれている。 学術的にも価値が高いと思われるが、慎重を重ねているので未だ創世歴時代の建造物の不思議は解明されていないものが多い。 古代イスパニア語にも似ているようだが大概は難解な文章や紋章が連なっているので、古くに失った物の多くは、原理も知れずに新奇の中に包まれ続けている。 慣れた足取りでパッセージリングの制御版に近づくと、 直接的に陽の光は届かない地だが、外目に雪とおぼしきものが落ちるのが目視できる程度の、そこそこ目映い視界はある。 一歩足を踏み外したらどこまで落ちるのはわからない場所なので、調子に乗らないように一応気をつける。 開いたコンパネに触れると、予兆とも言い切れない頭痛から本格的に繋がりが始まる。 糸が張り詰めると、やがて意志の線が交わった。 《意識が飛んでいたようだが、どうした?》 ルークに繋がってきた声の主は、唯一の存在。 気にかける声として、アッシュは回線で飛ばしてくる。 遠く離れた地であるラジエイト ゲートから放たれていても、害なく接触がはかれた。 《ごめん。手紙読んでてさ。つい、夢中に。》 宙へと浮くような目には見えないアッシュへと、ルークも答えかける。 定期的におこなっているので、回線でのやり取りのこんな有り様には必然的に慣れる。 《ああ、俺のところにも随分とあるな。置き場に困るくらいだ。》 最初は本当に少しだったのに日に日に増えていき、もちろん捨てることさえも出来ない。 ありがたいと思いつつ唇の端を緩めた。 《だよな。やっぱり嬉しいよ。》 確かに形に残る喜びがこれほど大切と感じたことはなかった。 それは、無論アッシュも同様だった。 そんな何気ないとも言い切れない歓談の挨拶を交わしてから、始まる――― 《じゃあ、そろそろ始めるぞ。》 《うん。》 合図を互いに掛け合い、いよいよ始まる。 ルークは息を落ち着かせて、一旦目をつぶる。 見開いた後は、両の手をパッセーシセリング上方へと向けて何物よりも集中をする。 手の振るえを定めて矯正すると、音素活性化装置に直接力をかける。 リングの僅かにずれた軌道に修正をかけるために、皇か且つ精密に進める。 超振動による反動は圧力を伴うため、身が引き込まれないように足を踏みしめた。 ルークとなるべく同時に済ますように逆地にいるアッシュは、逆方向にリングの軌道を動かす。 何度か微調整を繰り返してようやく合わさったときが、作業の終わりだ。 これで世界的なパッセージリングのズレはゼロとなって、一時的になくなる。 ディバイディングラインの圧力の膜が正常に起これば、障気は地核に押し戻されて地上には発生しないので、一安心が与えられるのだった。 まだラジエイト ゲートとアブソーブ ゲートの二箇所だけの操作で済んでいるのは、いいのかもしれない。 十箇所もあるセフィロトを回らなければいけないのだとしたら、到底出来ないのだから。 これなら、アッシュとルークの二人が付きっ切りでいるだけで済む。 《そっちは大丈夫なようだな。》 《アッシュも平気みたいだな。それじゃ、今日はこれで終わりだよな。お疲れ。》 わずかに滲む汗をぬぐう様子を見せたルークに対して、声がかかる。 何度繰り返そうが、労わりの言葉だけは忘れはしない。 《そういえば、さっき手紙を見ていたと言ったが…ジェイドから届いた手紙を読んだのか?》 ひと段落ついたところで、引っかかっていたことをアッシュは聞いてきた。 《ん?えーと確かジェイドから最後に届いたのは半月前だけど。それのことじゃないよな。》 立地的に仕方がないが、手紙はまとめて届く。 特にアブソーブ ゲートのルークが普段居る場所は奥地の更に奥地なので、物の行き来はラジエイト ゲートの奥に居るアッシュより遅い傾向があった。 それも加味をした配慮をされているので物資が不足するとかそういうことは今まで一度もないが、タイミング的な問題は多少なりはあった。 《それなら、もうそろそろ届くと思うが。》 《何か特別なことでもあったのか?》 アッシュが手紙の先の話をするなんて珍しいので、ルークも珍しく追求してみる。 《詳しくは手紙を読めばいいが。地核に投入していたタルタロスがそろそろガタが来ているから、新しい装置を入れるそうだ。》 《そっか、あれは突発的なものだったもんな。》 時間との戦いだった地核振動停止作戦を思い出す。 タルタロスは障気が再発生する前から不安視されていて、ジェイドからも直接そんな話を聞いていたけど、やっと投入段階まで来たのかと実感する。 四方から手をつくしてくれている一つとしての最初が実用に入ったことを知る。 《装置の投入が済めば今までよりパッセージリングのズレが安定期に入る。今のように頻繁に超振動の力を加えなくてもよくなるらしい。》 淡々と説明しようとしていたアッシュだがそれでも声の口調が上がってくるほどの。 《じゃあ、もしかして………》 期待が生まれて、回線越しでもルークの声が震えてどうしようもない。 本当ならば、飛び上がって喜んでしまいそうな。 その先に導かれて行く先が。 《一度、俺たちが直接会えるように手配する、とのことだ。久しぶりにおまえに会えそうだな。》 ルークにしか見せることのない笑みを伝えてアッシュは言い切った。 会えなかった期間を数えるほど女々しくはないが、それでも相当なものだ。 正直、もう会えないかと思ってた。諦めていた。 たとえそれが一度限りでも奇跡になりうると言っても過言ではない。 どこまでも翻弄させられる相手との数ヶ月ぶりの再会が、目の前に叶おうとしていた。 アトガキ 2007/09/04 back menu next |