どうやって、腕を動かすのだろう… どうやって、声を出すのだろう… どうやって、考えるのだろう… 俺は、どうやって、生きていたんだろう しばしの何も出来ない世界に、ルークはいることしかできなかった。 それでも目覚めたのは、それが必要とされたから。 水流に押し流されたルークは深海に沈むように落ちた。 実際はそんな綺麗なものではなく、泥沼の濁流の海だったが、それさえも次第にわからなくなる。 肺が大水に圧迫されて何をするにも困難に至る。 それでも辛うじて残り出ている金属の柵につかまっていたようだった。 どしゃぶりなルークを助け、引きずりあげたのは……… 半分覚醒したりまた寝たりを繰り返していたルークが、自分の意識がここにあるとはっきりわかったとき出来た唯一のことは、まぶたを薄らに開くことだけだった。 久しぶりな世界に飛び込んでくる眺めは、殺風景としか表現できなかった。 頭を左右に動かすことは出来なかったが間際に迫る壁の立地的にも、それほど広い部屋ではいと思うしか出来ない。 それでも、場に比例しない天井の高さだけはくみ取った。 隙間なく緑系で縁取られた盾形模様の壁紙は独特で、見覚えがあるような気もしたが直ぐには記憶が回りきらない。 部屋の中心とベッドサイドには照明があるのだと感じたけれども、元々ルークは寝ていたのだから控えめな光量になっているようで、余計に見にくくあった。 そもそも、今が朝か夜なのかも判断がつかない。 立ち上がる位置にある広い要の窓は、厚く深い紺碧のカーテンで締められており、日は零れていないからだ。 頭の芯がある程度定まってきたところで、ルークは身をあげようとした。 「つぅっ!」 体内から何かが軋んだ音が祟り、眠っていた痛覚を呼び起こす。 支えていた肘が、がくりと力を抜かしルークは再び枕に沈み、身体に痺れを伝えた。 さきほどかいたばかりの汗がじわりと滲んで、真新しいシーツにぽたりと落ちる。 よく見ると清潔な筈なシーツの、ルークが身動きしたと思われる部分だけが、僅かに湿っていた。 寝汗にしては過度であることがわかって、もしかして鞭打ちかと嫌な思いも過ぎるが一掃をかけた。 少し無理に身動きしたおかげでカバーが外れて、ルークは自分の着ている服を知る。 それは、飾り気のないいかにもな寝間着だった。 「わあ!ルーク、目が覚めたんだね。」 死角だった壁際から飛び出す声、ルークは直ぐには動けなかったが、すぐにその人物は歩み寄ってきた。 名は体を表す少年―――フローリアンが、あどけなさが残る顔を見せて顔を覗き込んできた。 「…フローリアンだよな。ここはダアトなのか?」 予期していなかった人物の登場にルークは驚くが、やっと少し頭が働いてくる。 ローレライ教団に籍を置くフローリアンと会うのは相当久しぶりだが、最初以外では総本山ダアトの他では会ったことがない。 元々、教団員は巡礼などの必要以外にはダアトを離れないものなので、フローリアンはその生い立ちの複雑さからそれが顕著に現れていた。 「そうだよ。ここは教会の客間だから、安心していていいよ。ルークは随分と長く寝てたから、本当に起きてくれてよかった。」 やわらかな笑みを浮かべながら、フローリアンは言った。 様子を見に来たのは結構なたまたまではあったが、まめに通っていて良かった。 枕元に置かれた卓上の水差しを手に取り、コップに水を注いでルークに渡そうとする。 久しぶりに動こうとするのでバランス感覚が少々狂っていたルークだったが、今度は身をあげても苦痛は伴わなかった。 さっきのは瞬間的なもののようだった。良かった。 コップを受け取り、揺れる水を一口貰う。 相当汗をかいていたようなので、のど元を通る感覚が清々しかった。 「ありがとう。」 まだ水は残っていたがコップを元の場所に戻しながら、ルークはお礼を言う。 「全然きちんとご飯食べてなかったから、お腹が空いたよね。食事持ってくるよ。」 機転を利かせて、部屋を出て行こうとしたフローリアンだったが 「待ってくれ。俺は、ベルケンドにいた筈なんだ。どうやってダアトに来たんだ?」 切なルークに静止をさせられ、足が止まる。 もう少し落ち着いてから状況説明をするつもりだったけど、ここまではっきり言われたら向き直るしかない。 再びベッドサイドに戻り、一息ついてから話し出した。 「ごめん。僕も詳しいことはわかんないんだけど、ベルケンドは今は禁止区域になっていて誰も入れないから、ルークはここに来たんだと思う。」 朧に言葉を選んで、答えた。 「禁止区域?どうしてだ…」 記憶が欠如しているようで、自分の曖昧と照らし合わせながらルークは呟く。 平和だったベルケンドの自分が最後に見たのは、津波に呑まれる建物や人々で、それを自身でも味わった。 なぜ、あんなことが起きたのだろう。 確かにベルケンドは海沿いの街とまでは言わないが、大分海岸には近い街であることは事実である。 海がしければ荒れることがあるとは知っているが、あの日は雲ひとつない晴天だったことは記憶に新しく、天候が悪化するとは考えにくい。 それに、全てを呑みこむあんな大波は、ベルケンドという地域固定概念を除いても見たことも聞いたこともなかった。 「それは…ベルケンドの沖合いの海上に落ちた隕石の余波で津波が起こって、街を襲ったから。」 純真な目を少し外して、フローリアンは事実だけを言った。 「隕石。もしかして、あの時の。」 あの流れ星………遠く彼方に落ちたものではなかった。 見間違いだと思いたかったのに。 「ラーデシア大陸も南部は相当津波の被害を受けたようだけどシェリダン港周辺への余波は、ルーク橋が防波堤になってくれたから大丈夫みたい。シルバーナ大陸北部は、元々人が住んでいないから大したことはないだろうって。だけど、やっぱりベルケンドは…復興の兆しさえまだ無理みたい。」 まさに天変地異といっても過言ではない。 人づてで聴いた話でさえ酷い有様で、フローリアンは直接的な言葉は避けた。 ルークがベルケンドの知事補佐をし、力を尽くしていたのは良く知っていたから、死滅した街の惨事を言えるはずもなかった。 そのフローリアンの意図がわかったらしくルークはそれ以上追求をせず、ただ「わかった」と答えた。 「元気出して!しばらくすれば、アッシュも帰って来ると思うし。」 凄く心配していたから、喜ぶ。 気分転換の為、無理やり別の話題を出したのだが、これはあまり功を成さなかった。 「そうだ…アッシュは、どこにいる!怪我とかしてないか?」 今ならはっきりとわかる。 あのどうしようもない状況でも自分を助けたのは紛れもないアッシュだった。 あんな荒波の中、無茶なことをして…こっちの方が心配に駆られる。 「アッシュは、隕石の落下予測地点へ向かう調査隊に加わったから、時期に戻ってくる予定だよ。怪我とかは特にしてなかったと思うけど。」 急なルークの覇気に負けそうになりながらも、何とか答える。 「…俺も行く。」 すかさず答えて、ルークは白いカバーをめくりあげた。 たぶんヒーラーによって治癒してもらったのだろう。 その痕跡はあるが、未だ全身に残る痛み。 片方では無理でも、両の足が揃えば地に着けることが出来た。 平定を保ちながら立ち上がると、久しぶりな平行な世界との対面。 足も腕も身体も、なんとか動く範囲だ。 身体を治すことが先決と言っても、意識があるのだからこんなところでいつまでも寝て待ってはいられなかった。 回線はずっと繋がっているが、アッシュからの一方通行だからルークからの活用的な連絡手段はないにも等しい。 それなら、直接会いに行くしかないから。 「ちょっと、ルーク!なんでそんなに同じなんだよ!!」 慌てふためくフローリアンの言葉は、残念ながらルークの耳には入らない。 それでも気を使ってふらつくルークに肩を貸そうとしても、見てもくれなかった。 バタンッ!と部屋の扉を開いて、出来る限りの早足で出て行くルークの後をフローリアンは追う。 こんなに素早く行動出来るとは思っていなくて、出遅れた。 というか、何でそんなに動けるんだ。 気力のみしか見えないくらいだった。 全く…少し前と同じ光景だ。 アッシュもベルケンドの惨状を聞いたら、直ぐに飛び出て調査隊と合流してしまったから。 まさか全く同じ行動を取られるとは思っていなかったけど、それでも心のどこかで気になっていて、同じように話すのを戸惑ったのに。 でも、オリジナルとレプリカ以上にアッシュとルークは同じ行動をしているようで、フローリアンは少し羨ましくもあった。 本当に同じなんだな……… そんな感傷に少し浸っていたため、静止の声が遅れてしまった。 「待って!そっちは駄目だ。外へ出る扉だから!!」 敬虔な信者でも稀に迷ってしまうほどの教会内部。 フローリアンはずっと住んでいるから目をつぶっていてもわかるけど、急いでいたルークは行き先を違えた。 回廊へ出て直ぐの扉をルークが開くのにそんなに時間はかからなくて、フローリアンの叫び声は耳に届いたけど、急ぐ無意識のうちに手の方が先に動いてしまった。 紋章張りの木製の扉を少し開くと、得体が知れない悪寒が走る。 それでも、押しの力でそのまま扉が勝手に開く。 広がっていたのは、充満した黒い霧に覆われたよどんだ世界。 目の前に迫る生きた悪夢にルークの体は、ぐらりと揺さぶられて背中に禍々しい汗をかいた。 ぎっちりと詰められた黒と紫が入り混じり。 忘れるはずがない。 これはもしかしなくても 「障気………」 世界は、再び暗雲に包まれていた。 アトガキ 随分とゆっくりペースとなりそうです。なかなか話が進まなくてすみません。 2007/08/06 back menu next |