涙の出し方は、もう忘れてしまったよ。 死した母親の隣の少女は、憔悴しきっていた。 医者は、最後の診断を下すように、ゆるやかに説明をする。 母親の寿命は既に差し迫っていて、この静かな夜に終わりを告げた。 アッシュとルークが採取した薬草は確かに効果があったのかもしれないが、副作用もあるし、どのみち長くは持たなかった、と。 そして最後に、汚染された障気による障害と診断書に書き入れられた。 全てが終わったのだ、始まるものもないというのに。 恨み言の一つでも言ってくれれば良かったのに、そんな気力があるはずはなかった。 少女もわかっているのであろう。 そこに立つアッシュを責めても何も戻ってくる事はないということを。 「アッシュ、俺って無力なんだな…」 震える両手を覗き込んで、ルークはぽつりと独り言のようにしゃべった。 ひどい顔をさせてしまった、沈む少女の肩の細さが痛い。 自分がこのような子供の頃はどうだった? わからないことがたくさんあったけど、優しい母親がいて厳しい父親がいて、それだけでも幸せだったのだ。 自分は死んで、人間とはまた違う存在として居て、少しの違う能力も持っているというのに、これじゃ意味がない。 結局、人助けの真似事になってしまった。 アクゼリュスの…一人分を丸ごと生きることさえ出来なくさせてしまった。 俺たちのしたことは無駄だったのか? 「そうだな、お前は無力だ。そして、俺も同じだ………おまえが死んだ時も俺はこの無力を味わった。」 アッシュのぐっと握りしめる拳がいつまでたっても外れない。 「それは…」 「おまえは、何でも自分で背負いすぎているんだ。一言ぐらい、俺に恨み言も言わずに死んで…また傷ついて。助からなかった事が罪じゃない、何もしないのが罪だろう?」 少女の母親が助からなかった事は、確かに最悪の事態だった。 でもそれをずるずると引きずって前に進めないのであれば、どうしようもない。 優しすぎるルークにせめて、アッシュはそう言ってやった。 死しても尚、後悔し続けている現状では、ルークに未来はない。 自分が一番の罪を背負うのでいいと思ったから。 「おや、残念。やっぱり死んでしまいましたか。」 空気をぶった切るように、呆気たような声が乱入してきた。 その場にいた全員が落としていた視線をあげて、そちらへ向く。 声の主は部屋の入り口に立っている、最初はその存在を隠すようにフードを深くかぶった長い黒髪の若い男だった。 「お前は!」 「お久しぶりです。アッシュ特務師団長。いえ、今はヴァン閣下を裏切ったルーク様とお呼びすべきでしょうか。」 余裕綽々の中でも皮肉たっぷりの口調が男からは聞こえてきた。 「知り合いなのか?」 突然の登場に困惑しルークはアッシュへと尋ねるが、姿も声もアッシュにしか認識されていないため、おおっぴらには出来なくあった。 「ヴァンのお気に入りの部下の一人だった、てめぇがなんでこんなところにいやがる?それに、その格好…まさか。」 ヴァンのついていった騎士団兵だというのに、未だにローレライ教団の服装に身を纏っていることで非常に嫌な予感がして、アッシュは厳しく問い詰めた。 ローレライ教団をヴァンと共に裏切った残党はこの数年でだいぶ網羅したつもりであったが、今だ消息を掴んでいない人物の一人でもあった。 「…預言者様、お母さんが死んじゃったんです。私はどうすれば、いいのでしょうか……」 虚ろな少女が、男に向かって訴える。 先ほどまでろくに動こうともしなかったというのに、その動作にアッシュとルークは目を見張った。 「もしかして、この男が預言者…」 アッシュにだけしか聞こえない声をルークは出す。 預言者として公に出向くことは禁じられている今、彼こそが不正に預言を詠む人物ということだった。 「何をするつもりだ!」 少女に近寄る男を制止するように、アッシュが阻む。 考えられることは全てマイナス要因でしかないからこそ、近づけさせるわけにはいかなかったのだ。 「何って、可哀想な子供でしょ?だから、僕が助けてあげるんです。」 自信満々に当たり前のように、男は言った。 「そんなどうやって…」 「お母さんを生き返らせてあげますよ。正確に言うと、レプリカですけどね。でも見た目は同じです。同じなんですよ。」 確信的に繰り返して言ってやった。 ふふっと笑みを浮かべたが、違う意味で笑いが止まらず漏れだしただけであった。 それこそが男の目的なのだから。 「レプリカ施設…全て壊したと思っていたが、まだ残っていたのか。」 苛立ちながら、アッシュは吐き捨てた。 「あなた如きにヴァン閣下の全てがわかるわけないじゃないですか。無駄なんですよ。壊してもまた作ればいい、それだけのことなのですから。僕たちはこうやって着実に仲間を増やしていますから、簡単なんですよ。」 「貴様!」 「ほら、結局死に目にも会えなかった。また、お母さんに会いたいでしょ?」 アッシュに対して酷くつまらなそうな瞳を見せた男は、次に少女へと向きなおった。 奈落の底へと誘う為に、いつもの甘い誘惑を繰り返すのだ。 「それは、おまえがわざと会わせないようにしたんだろ!」 ルークの怒りが頂点に達して、叫ぶ。 薬草だなんて、でっちあげに近いようなことを言って、遠ざけさせて、なんて酷い。 声が届かないのが、どこまでも歯がゆかった。 「やはり一連の犯人の一人はお前だな。」 アッシュも凍るようなまなざしを見せながら、言い放った。 レプリカで埋まる世界…まだこんなことを考えて。 「そうですよ、でも何か問題でもあるんですか?預言を望んでいる人間はたくさんいるんですから、答えて上げているだけです。僕たちを根絶やしにしようとするあなた方のほうが、酷いじゃありませんか。それに、生前に情報を抜かないだけマシでしょう?」 放っておいても下界の第七音素は減っているからそのうち預言も詠めなくなる。 だから急いでいる。 自分たちは仲間を増やしたいだけだ。 それを足がかりにして、じわじわと増やしてやる。 人の心を利用して、利用しつくすつもりだった。 「なんて酷いことを…」 過去の栄光にしがみ付くものたちがまだこんなに残っているとはルークは思わなかった。 「大体、あなたがこの母親を殺したのも同然じゃないですか。あなたが預言を狂わせたから、こんな預言しか僕も詠めなくなったんですよ。本当は助けられる預言を詠める筈なのに。だから僕は些細な夢と希望を与えているんです。」 ぬくもりもない母親にちらりと視線を移して言ってやる。 「…本当にお母さんに、会えるの?」 レプリカ…それでお母さんが生き返るという、偽りでもすがりたい気持ちが少女にはあった。 糸で辿り寄せられる操り人形のように男の元へと近づいて行く。 「ええ。会うだけなら可能ですよ。だからうなずきなさい。そして、僕の手を取るんですよ。さあ、その死体を…」 最後の、魔性の手を目の前に差し出してやる。 「本当に、それでいいのか?偽りの母親が欲しいのか?本当の母親は今、どこにいると思ってる?」 力ずくで静止させるのは簡単であった。 でもそれでは意味はないから、アッシュは諭す。 いくら年端もいかぬ子供とは言え、本人が了承しなければ本当の意味で止めることなんて、出来ないのだ。 自分の存在意義は自分で作る物だった。 「………お母さん……ど、こ…?」 助けて…と少女は涙も出ないのに心から泣いていた。 わからない、わからない、わからない… 「っ、まったく。これだから、ガキはいけませんねぇ。」 先ほどのエセ臭い優雅さを脱皮し、男は舌打ちをする。 そして、中途半端に伸びていた少女の右手を無理やり引っ張り上げようとした。 「駄目だ!」 反射的にルークは二人の間に割り入った。 もう伝わる身体はないとわかっていたのに、それでも我慢がならなかったのだ。 たった一度でもあの手をとってしまっては後戻りができるようなものではないと、あのアクゼリュスでルークには痛いほどわかったのだ。 そのせいで辛い思いをする結果となってしまった少女に、繰り返しなどさせるわけにはいかなった。 頼ってはいけない。その過ちをなぞるだけとなってしまう。 そして、それはアッシュも同じ思いだった。 同時に入り込むルークとアッシュは、その手と手が触れ合ってしまったのだ。 「な、なんだ。これは!」 男が叫ぶより早く、少女を捕まえる前に伸ばした手がパンッと弾けた。 眩い…色の認識さえも無くすほどの、白い光が辺り一面に包まれた。 「誰…幽霊?妖精?それとも天使?」 子供ながら見えた姿は、おぼろげだが、そう捉える事が出来た。 眩しすぎて形の造形しかわからない。 誰だかわからないが、確かにそこに誰かがいたのだ。 「まさか、見えてる?俺の存在は自由に取ってもらって構わないけど、こうやっていつも誰かが君を見守っているよ。もちろん君のお母さんも…」 自分のやったことが無駄でも良かった。 まさか少女に自分の姿が見えるようになるとは思わなかったけど、ルークは最後になるであろう言葉を伝えた。 これも一瞬すぎるけど、自分のしたことが無駄にならないのならば。 アッシュが迫ってくるとわかっていても尚、ためらいもせずに制止することができたのならば、本望だった。 「ぁ……お母さん。そうだよね。お母さんは死んじゃったんだよね…」 枯れた涙は出なかったけど、いたわるようなルークの心が染みた。 胸の中に生き続ける母親がまぶしく輝いた。 それは母親の死という悲しい事実の上に成り立つが、少女はやっと現実を受け入れることが出来たのだ。 今まで何もしかなかった。 出来なかった自分をわかったのだ。 「ルーク、お前…」 驚いたのはアッシュも同様だった。 今までアッシュがオリジナルだからこそ見えていた視覚情報とは違う媒体としてルークが見えていたのだ。 ルークの煌めき方は、淡い透きとおり方は、以前レムの塔で見た。 これは、まさか…超振動による分解……… だからこそ、手遅れ過ぎてしまった。 光の欠片は拾い集める事も出来ないように、全て音譜帯へと昇って行ってしまった。 ルークの身体の形成が反対方向へと促されて、やがて完全に消え去った。 こんなことの繰り返しばかりの世界…最後に誰か助けたいじゃないか。 「いいかい。ルーク、見えるのだけが問題じゃない。忘れてはいけないよ。」 「わかってるって、オリジナル…アッシュに会っちゃいけないのは、アッシュと触れると俺の存在が本当に消えるからだろ?」 最後にアッシュに伝わった記憶情報は、ローレライとルークの残酷な会話の一部で切り取られていた。 同じ存在が一つの世界に存在することは、そう何度も許されるわけがない。 アトガキ 2009/03/23 back menu next |