目前に迫るまで忘れていたわけではなかった。 それでも、真っ直ぐ前を見ることは容易には出来なくて、自分の心の弱さを思い知ったのだ。 ルークの精神を呪いのように永遠と刻み続ける『アクゼリュス』 別にアッシュはルークに「一緒に来い」などとは一言も言った憶えはなかった。 それでも、同時に少女の家を出た二人が全く同じ方向へと向かったのは当然の成り行きだった。 微妙に磁器の狂うコンパス片手に向かう先は少女が向かったと思われるザオ遺跡。 薬草は遺跡の奥地に生えているという事前情報は得たが、まずは入り口を目指さなければいけない。 宙を浮いているルークが先行して行くような形になってしまったのは、今の二人の立場上では仕方の無い事だった。 それでもルークはアッシュのことを酷く気にしていて、適度にこっそりと後ろを見たり気配を感じていた。 二人は一定の距離を保つように歩いている。 それはアッシュが意図としてやっているわけではなく、ルークが極めて臆病で警戒しているのだ。 「近寄らないでくれ。」 二人の道中で唯一ルークが発した言葉はそれであった。 それも癇癪でも起こしたかのように激しく言われたので、さすがのアッシュも一瞬言葉を失った。 生来のルークと一緒に旅をしていたわけではないが、オリジナルとレプリカの関係で大体のルークの性格や行動は内面からさえも把握しているつもりであった。 ルークの性格といえば、さほど神経質ではなかったし、どちらかというと大らかで、かつてのように人間に戻ったかのようにアッシュが側に来た程度で何か言うようなタイプではない。 それが今では潔癖すぎる様子を不自然に示したのが、やけにひっかかった。 言及して問い詰めようとも思ったが、ルークは逆に必要以上に先を急ぐので、こんなことで口論をしている場合でもなく、深く考えないようにするのが今の限界であった。 「居た!」 ルークが飛び跳ねるようにそう叫ぶと、アッシュも駆ける。 完全に追いかける形となったわけだが、か弱い少女と比べたら二十歳になるアッシュの歩くスピードなら簡単に追いつけたようだ。 ザオ遺跡に差し掛かる場所で、入り口の仕組みがよくわからなくて、うろうろと周囲を回っているあの少女を見つけた。 「ここは危ない。早くオアシスに帰るんだな。」 歩み寄ったアッシュは間髪入れず、砂に汚れた少女にそう言った。 少女の近くを浮遊するだけで言葉を話すことの出来ないルークの伝えたいことも代弁するかのように、合わせて投げかけたのだ。 彼女がここにいたるまで魔物や小動物に襲われなかったこと自体が真っ昼間の中を黙々と歩いてきたからで、このまま夜を迎えればより危険が増して、子供一人で歩くのは困難になろう。 「だって預言者様が、詠んでくれたんだよ。ここにある薬草があれば、お母さんは助かるって。わたし、それを持って帰らなくちゃ…」 少女は年齢に見合わない愛想の無い顔をアッシュに向けて言った。 今日に至るまで教会で祈り続けてきた疲労や母親に対する心労が重なって、既に精根尽きた表情しか浮かべられなくなっている。 「薬草は俺たちが必ず持って帰る。だから、お前は母親の側にいてやれ。」 ついうっかり複数形になってしまったが、固く言い切った。 「本当?それで、本当の本当にお母さんは助かるよね?」 藁にもすがるようにアッシュを見上げながら尋ねる。 アッシュはそれに返答せずに、少女の背中を軽く押して、帰りを促した。 医者から聞いていた薬草の効能より、預言者が詠んだ預言にアッシュはもう盲目的ではなかったから、はっきりと助かると断言をする言葉は出なかったのだ。 病を治して下さいと、少女が神にすがる気持ちも十分にわかった。 だが、可哀想だからといって特別視して助ける差別はいけないし、このままでは共倒れを食らう危険があった。 自分は本当に少女を助けられるのか? ルークは自身にそう問いながら、こくんとうなずいた後急いでオアシスへと帰路を取る少女を見送った。 ザオ遺跡は創西暦時代に戦争から逃れるために作られた都市と言われている。 砂の丘を越えて、ゆらめく陽炎を跨ぎながら、二人は遺跡内に入っていく。 先ほどから続いている気まずさが続いてずっと黙ったまま二人は歩き続ける形となる。 じわりと蒸す暑さには汗さえも出てこなくなるが、今のルークにはそれを体感はできない。 倒れた柱を縫うように進むと、中は意外にしっかりとした造りになっており、日陰になっているので外よりは涼しいらしい。 アッシュは天上から漏れる砂が目に入るのを避けつつ、螺旋階段状になっている通路を降りていく。 深層部に行けば行くほど、かつての都市の名残が所々に見える。 固い石橋、石畳のアーチ、陶器製水がめなどの生活用品の一部は住みやすいように配置されていた。 下にもずっとたくさんの建物が、壊れながらもある。 崩れた道を通るので足元を注意しながら、奥まで駆け抜ける。 しかし、周囲には薬草どころか、草木は殆ど見当たらず途方にくれる。 たとえあったとしても、周りに水の補給もままならないこのような場所でどうやって自生しているのだろうかと、思うほどだった。 「やっぱり薬草なんて、ないのかな…」 ダアト式譜術が解かれているパッセージリング付近まできたところで、ルークが落胆の声を呟いてしまった。 ここから先は創世歴時代の建物に入っていく。 目の前にはステンドガラスがはめ込まれた黒き神殿は綺麗な彫り細工が見られるが、これ以上深い場所では薬草探しは到底見込めなかった。 「簡単に人に見つかるようなら、もうとっくに処方されているだろう。もう少し違うところも探すべきかもな。」 「…そうだよな。絶対に持って帰るって約束したんだ。俺たちが簡単に諦めちゃ駄目だよな。」 アッシュの言葉を受けてルークは弱気になっていた気持ちをしっかりと切り替える。 ローレライに少女を助けるようにと言われたから頑張るのではない。 アクゼリュスでの自分の罪を償う一つでもあり、それ以上に少女と少女の母親を助けたかったから、出来ることは精一杯やりたかった。 ルークは周辺に本当に薬草がないか目をこらすように見る。 しかし、ルークが発見したものは視覚ではなく最初に聴覚に訪れた。 鳥類にも近い超音波にも聞こえる不快な音が嫌に耳にキーンと響く。 なんだろうと確認するまでもなく、人間の頭一つ分ぐらいの大きさの身体を持つ大型のコウモリ似た魔物が翼の羽ばたきを撒き散らしつつ、大量にルークに襲い掛かる。 「わっ!」 ルークの身体を次々にすり抜けるコウモリの魔物だったが、反応的に身を縮める格好を取ってしまう。 魔物にとってはルークの身体が見えているわけではないので、ただの通り道だったらしい。 だが、次に襲い掛かった先はアッシュで、前足の鉤爪が鋭く襲う。 「アッシュ、危ない!」 深層部に至るまで魔物との戦いはうまく避けてきた。 アッシュの剣の技量を忘れたわけではないが、なにせ視界が真っ黒になるほど数の多い魔物たちに囲まれたら、余裕とまでは行かないであろう。 既に剣を抜き差って数匹ずつ旋回する魔物をなぎ払うアッシュを助けるように、ルークは両手から小規模な超振動を巻き起こした。 アッシュ相手以外にしゃべることも物に触れることの出来ないルークにとっては、オールドラントに干渉できる唯一の手段になっているそれを、惜しみも無く使った。 やがて、急所は避けたが身体の一部を負傷しはじめたコウモリの魔物たちは、素早く劣勢を悟って逃げていく。 連携プレイだけは襲ってきたときと同じく義理堅いようで、帰りも皆が庇い合いながら飛び去っていった。 「大丈夫か?」 へなへなと力が抜けて浮遊が先ほどよりも落ちているルークに、手を差し出すアッシュ。 目の前の手をルークは取ることはせず、先ほどのコウモリとは比にならないくらいの逃げを見せた。 その行動は触らないでくれと言わんばかりにも思えすぎたので 「あ、ごめ…ん。」 と、過剰に申し訳なさそうに小さくルークは謝った。 第七音素集合体となってしまったこの身体で、小規模とはいえ久しぶりに慣れない超振動を使ったので疲れたのは確かではあったが、アッシュの手を取るわけにはいかなかった。 また、離れた。 そのことが、三度不穏の空気が二人の間に流れ続ける。 「なぜ、避ける?」 さすがのアッシュもここまで露骨にやられると問い詰めるしかなかった。 男相手に手を貸すという行為は必要ないことだと予めわかってはいたが、ルークの真意を確かめるためにわざと差し出した手でもあった。 今と旅をしていた以前とではルークの状況も心情も違うのはアッシュにもわかったが、過敏避けられる理由は思い当たらなかったから。 「本当にごめん。………俺、もっと上の方に薬草がないかどうか、見てくるから。」 返答をごまかすように周囲を見てくると言うと、アッシュの続く言葉も待たずに上空へと飛び立ってしまった。 後を追うことのできないアッシュは眉間に一つのしわを刻みつけてから、自身も薬草探しに徹することにした。 「あの、アッシュ?」 数十分するとルークが遠い方向から戻って来た。 声をかける音が微妙に震えていてびくびくとしてしまったのは、先ほどの二人のやり取りからすれば、自然の流れになってしまう。 「何だ?」 アッシュとしてはいちいち物事を引きずるような性格ではないので、なるべく普段と同じように切り替えした。 「あのさ、探している薬草の特徴って。淡い水色で五つの花びらがある小さな星型の花だったよな?」 「そうだ。よくそこまで憶えていたな。」 「そっか、良かった。この壁の上の方にさ、地下水が湧き出ているところがあって、それっぽい花を見つけたんだ!」 そう言って指し示す方向には断崖絶壁がある。 真上を見上げるように首を上げると、確かに高いところが粗い岩肌に光り輝くように存在を証明していた。 「じゃあ今からとってくるから、ちょっと待っててくれ。」 ついに見つけたことに嬉しそうにして、飛び跳ねるように岩肌に近寄る。 そして、次にルークが姿を見せたときは手一杯もある花々を、超振動で操り、空中に漂わせていた。 「えーと、落とすから受け取ってくれ。こっちの世界に来てまだあんまり経ってないから、まだうまく超振動を扱えないんだ。」 そう、嘘の弁解をして、ルークはアッシュの手元にゆっくりと花を落とした。 深い深い夜となる。 ザオ遺跡に向かったのは日の高い時間ではあったのだが、アッシュとルークが再びオアシスに戻ってきたときは既に夜中となっていた。 夜の砂漠は昼間とは見違えるような変化をし、凍えるような寒さを与えたが、それに足を取られているような時間はなかったので、急いで戻った。 少女の家に真っ直ぐ足を向けると、仄かに家の中に明かりがついていることがわかる。 周囲の家々はもう寝ている時間帯なので、夜分遅く訪れるのもどうかと思ったのだが、事態が事態なので構わずアッシュは家に入った。 室内には、少女と母親そして医者も側に控えていたが、様子は初めてこの場所に入ったときとは打って変わっていた。 「私の力が及ばず申し訳ありません。」 アッシュの姿を確認した医者は、深々と頭を下げる。 一番奥にはベッドに横たわる母親に抱きつきながら泣き続けるあの少女がいた。 そして、もう永遠にまぶたを開くことの無い母親が静かに眠っていたのだ。 それは、右手に握り締めていた薬草が、音もなく落ちた瞬間だった。 何もかもが、間に合わなかったのだ。 アトガキ 2008/07/23 back menu next |