また、預言を詠む者がいる。望む者がいる。 預言は天上に値する音譜帯にまで届くので、すぐさまローレライが察知できるようになっている。 中には第七音譜術士としての職にあぶれて切実な思いの者もいるが、大抵は金銭目当ての悪質な常習犯の仕業であった。 何度邪魔をしても懲りないものだ。 騙される純朴な人間も悪いとは思うが、何百年・何千年と預言に頼ってきた人間たちに、いきなり絶つというのは難しいものであるとはわかっている。 それでも同情をしていてはいつまで経っても邂逅から抜け出せはしない。 打破するために、またレプリカの人員が裂かれるのであった。 「ルーク!」 吹き抜ける空間の中で、イオンのはつらつとした良い声が伝わる。 ふわりと雲の上を浮かびながら移動して、飛ぶというより浮遊しているという表現の方が合っているのだが、その場所へと急いでいる様子。 音譜帯での限られた仕事を終えたルークは、またいつもの場所に居た。 声を聞いて落としていた視線を上げて立ち上がる動作をする。 「どうしたんだ?珍しく慌てて。」 イオンはどんなに仕事が忙しい中でも、ルークと他愛ない会話をする時間を作ってくれていた。 現在は精神体であるので以前のように体の調子が悪いという事はなく、着実に仕事をこなしている。 元気であることはわかっているがそれでも元来のイメージ通りで、おだやかでゆっくりと話すのがイオンの常で、こんなに声を大きく上げているのは初めて聞くぐらいであった。 「喜んで下さい。ルークに新しい仕事ですよ。ついに下界に降りられるんです。」 近づきが終わると挨拶もそこそこに開口一番にそう言った。 微笑を蓄えながらも、まるで自分のことのように喜びながら伝える。 身振り手振りもいつもに比べたらオーバーなくらいではあったが、ルークにとってはそんなことも忘れさせるくらいの内容であった。 「本当か?」 びっくりして反射的に聞き返してしまう。 今までどんなに望んでも叶わないと思っていたことで、鈍くない周囲は察知していただろうが、具体的に望んで訴えたことはなかったことだから。 「ええ、ローレライから直接了承を得ました。残念な事ですけど最近また預言を詠む者が増えているのはご存知ですよね。人手不足ということでルークにもこちらの仕事が回ってきたようです。」 自由に下界に降りられることをルークは羨ましく感じてつい口に出して漏らされていても、イオンは嫌だとは微塵も思っては居なかった。 イオンは唯一ルークのことをきちんと覚えているレプリカで、下界に思いをはせる理由もひしひしとわかったから。 自分も二年ほどしかオールドラントの地にいることは出来なかったわけだが、それでも目下に見えるというのに音譜帯だけで過ごすことになったら随分と寂し過ぎるだろう。 思い馳せる懐かしすぎるあの場所を完全に忘れ去るのなら、はじめからここに来たときに記憶なんて元からなかったほうがマシなくらいだ。 だから随分と前から徐々にローレライに、ルークにも下界の仕事も与えるように打診をしていた。 たとえ一度死して音譜帯に昇った存在でも、レプリカがオリジナルに姿が見えてしまう不備はイオンも知っていた。 だからといって唯一その危険性を孕んでいるルークだけ自由が利かないというのは、傍目から見ても耐え切れるものではなかった。 粘り強く訴え続けて、最初に打診されてからもしばらく考えた続けたローレライだったが、もう随分と音譜帯で頑張っているルークのことはわかっていたので、ようやく許可をしたのだった。 「そっか、ありがとう。イオンのおかげだよ。」 吐き出す安堵の息に本当は力が抜けるようだった。 それでも満面の笑みを浮かべながらルークはイオンの手をしっかりと掴んだ。 ほどなくローレライからの呼び出しがかかる。 そうして一人の少女を助けることを命じられて、ルークは再びオールドラントの地へ降り立つことになったのだった。 今のルークに時間的間隔というのはそれほどない。 身体はもうないのだし、体面的に見えるこの身は退化も進化もしないので、無機質な中で浮かんでいるという状況になっているのだから。 それでも本当に久しぶりにオールドラントに帰ってきたと、ルークは身体から感じ取った。 原則的には本当のオリジナル以外、誰にも姿を察知する事が出来ないのだから、どこに降りても大丈夫なはずだが、今居る場所は砂漠のど真ん中であった。 人っ子一人どころか、ぱっと見渡しても小動物さえも見当たらない。 かろうじて地面に足をつけていないルークの足元を微弱な虫たちが通り過ぎる。 目的地は、ケセドニアの砂漠にあるオアシス。 そこに今回の目的である少女が居続けているはずだ。 歩くという表現は今のルークにはないと思われる。 ふよふよと宙に浮かびながらそれでも急いで、オアシスへと向かった。 枯れ果てた砂漠に水辺があるなどここにしかないので、見つかると一目散に急ぐ。 それほどたくさんの人はいないが、オアシスは確かにそこにあった。 広大な砂漠の中ではオアシスの目印は少なかったが、それだからこその存在感は圧倒だ。 旅をしていたときも何度か足を踏み入れた事があるが、依然見たときとそれほど情景は変わっていなかった。 すれ違う人々にはもちろんルークの存在は見えておらず、同じように道を歩いていってもぶつかる事はなく、身体をすり抜けて行かれる。 やはり自分の存在はこの地にはないことを実感するが、それは今更であった。 物資の行き来がそれほど盛んではないこの場所では所々で欠けているところが見受けられる。 寂れた石造りや砂造り建物はその典型であり、風化現象も随所にあった。 ローレライの言葉通り、真っ直ぐに聖堂を目指すと目的の少女が中にいた。 聖堂といっても、砂飛び交うオアシスに作られたものはそれほどご立派なものではない。 つぎはぎされた木片で造られた簡易な建物は人が四、五人入るのがやっとで、本来ならば綺麗にされているべき装飾物も磨かれずに放置されていた。 聖堂に居るのはその少女一人だけで、奥に置かれた偶像なかのローレライをモチーフにしたと思われるそれほど大きくない白い聖像の前で、ひざまずいていた。 両の手を指を合わせて、小さい肩を震えさせながら切実にお祈りをしている。 『母親の病が治るように』と。 祈る事は悪い事ではないが、少女はそればかりになり、母親の最低限の看病をする以外はその場をほとんど動かず食事も満足にしていない。 かろうじて衰弱死しないのは、近所の人が目をかけてやっているからであるが、それもいつまで持つだろうかという段階に陥っていた。 ルークはそっと座り込む少女の目の前に足を向ける。 無論、少女にもルークの姿は見えていないので、気を使う様なこともないのだろうが、ルークの心情がそうさせた。 レプリカである自分が始めて母と出会った頃に近い、小さな年頃の少女。 自分は実年齢とのバランスが違っていたので少女と重ねる部分にズレはあるが、それでも大切なことはわかる。 現実を知っていても神がいないとはルークは思ってはいない。 オールドラントの人たちはローレライ教団を信仰している人が多いのでローレライを神とあがめる事が多いが、他の音素も神等しく神秘的な力を持っているので、奇跡は望めばかなう事もないこともなかった。 しかし頼りすぎて身を破滅させるのでは本末転倒だ。 叶わなくとも祈ることだけで救いと思ってくれればいいのだが、現状をみつめると、そうは思えなかった。 ローレライから具体的な解決策などは一切提示されてはいない。 自分で何とかしなければならなかった。 「ああ、その子ならそこの聖堂にいるよ。私たちも気にかけているんだけど、何とかならないかねえ。」 静かすぎる聖堂内では外の音もよく拾えてしまう。 元々薄い壁を伝ってくる声は初老の女性が発しているものだろうか。 年齢的疲労とは違う愁いを帯びた音質が入り混じり、一言一句はっきりとこちらの耳にも届いた。 断片的に自分へと向けられた言葉であろうと少女はわかっているのかいないのか。 祈りに必死すぎて、もしかしたら耳には届いていなかったのかもしれないかのように、その場を微動さにする様子もない。 並大抵の事では少女をどうにかするのは無理だと、ルークは俯きながら感じ取った。 やがていくつか入り混じる砂の上を歩く音。 さきほどの女性の声の様子から独り言で言ったのではなく、案内をするように捉えられた。 誰かがルークと同じく少女を目当てに、やってくるようだ。 鍵もかからない、半分壊れかけた木扉がギシリと音を立てて開こうとする。 扉から差し込む外の光が昔の身体を思い出して暑く感じる。 「ここにいるんだな?」 誰かの声−−− 瞬間的にルークの胸を打ちつける確認の声が割り入る。 少し低いが良く通る男性から発せられた声色。 精神体となってしまったルークのまばらな記憶を拾い集めなくても、知りすぎている声にしか思えなかった。 それが、決して出会ってはならない彼に出会ってしまう序章だった。 アトガキ 2008/04/26 back menu next |