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鏡 に う つ っ た 約 束   完 結 編  2












その身体は、見慣れた場所にあった。
さあ、いつものように覚醒して、と、その身体の持ち主であるルークは思った。
早く目を覚まさないと、いけないから。
開こうとしない瞼を薄っすらとこじ開けると、有り余るほどの光量が突然飛び込んできたので、とっさに左手の甲で視界を覆った。
それでも、差し込む光が照る。
やっと慣れたと思ったときに、その手を退けつつも上半身をゆっくりと起こし始めた。

ルークは目を覚ますという行為が出来た。
そんな当たり前のことでさえ、出来て良かったと思う。








「起きましたか。気分はどうですか?」
じんわりと動いたルークに対して、その定型的な医者の台詞を言ったのはジェイドだった。
部屋の中心に立っていたのをベッドサイドへと移動し、ルークを観察するように見下ろしている。

「あれ………ジェイド。なんで、ここにいるんだ?」
あまりに自分のことに精一杯すぎて、周囲を窺う余裕さえなかったから、ちょっと驚きもした。
少しの記憶が飛んでいる自覚さえもなく、漠然とその言葉をルークは出した。
ついでに少し首さえ傾げる。
ジェイドと二人きりになるなど相当久しぶりな気がした。
「私の目の前で倒れましたからね。滅多に人は見ませんが、自分の患者は最後まで見届けたいんですよ。」
質問の意図を全て捉えたわけではなかったが、ジェイドはそう返す。
そこまで言われて、やっとルークは思い出した。

「そっか。俺、ユリアシティの船着場で倒れて………でも、ここはダアトだよな…」
見渡す限りの慣れた場所は、ダアトの私室であった。
それほど無駄に物を置いたりはしていないのだが、さすがに見ればわかる。
自分でここまで来た記憶はないから、誰かが運んでくれたのであろう。
この年齢にもなって……少々情けないと恥じた。
「はい。あの場ですぐにあなたを診ましたが、深刻な症状は見られなかったので、ダアトに戻ってきました。意識は失っていましたが、こちらに来て直ぐに起きたので、後遺症などはないでしょう。」
改めてルークを観察しながら、ジェイドは言った。
ジェイドは有給を取っている身であるからさほど忙しくはないが、ルークもアッシュもダアトに戻ればそれぞれの責務に勤めなければならない。
アッシュはルークを心配して、それでもいいとは言ったのだが、ルークが自分のために足止めをしたと知ったら怒るだろうと判断して、多少無理をしても戻ってきたのだった。
その判断をして良かったと今は表面上だけ言える。
「じゃあ、大分寝てたんだな。どうりで身体が鈍いわけだ。」
随分と深い闇にとらわれていたようだ。
日の経過は体に残っていないけど、相当なけだるさだけはある。
一番不敏しているのは、やはり頭だが。
確認程度に重い身体に命令をかけると、多少のバランスの違和を感じた。
これが本調子とは到底言えないから、無理に立ち上がろうとするのはあまりよくないと、身体が訴えているのがわかった。



「失礼。脈をとりますから、動かないで下さい。」
いきなり張り切ろうとするルークの行動に僅かに眉を寄せてから、続いて本格的な診察に入る。
木製の机に添えられていたさほど大きくない椅子をベッドサイドへと持ってきて腰掛けてから、ルークの服の裾を捲らせて脈診をする。
ダアトにももちろん医者はいるが、ルークはただの人ではない。レプリカである。
ジェイド自身もそれを望んだし、周りからも望まれて、ルークを診ていた。

「俺、いつも迷惑かけてるよな…」
「そう思うなら、きちんと食事を取ってください。胃の中が空っぽですよ。」
旅ではみんなで食事をとる機会が多かったから、ルークが少食だった記憶など無い。
この生活環境で食べ物に困るということもないであろう。
それなのに、この栄養不足気味はどうしたのかと、叱咤した。
「あ、そうだよ。それが今回倒れた原因だ。」
罰が悪そうにしながらも、ルークは明るくそう言った。
冗談の笑みさえも浮かべてみる。
自分で症状を言うなんてなかなかしないことであろうが、だから大げさに心配しないでくれとの意味合いを入れる。
結局、ルーク自身に心当たりがあるから、それで終わりでいいと思った。



「ふむ。いまのところは、心労というところでしょうか……とりあえず後でもっと詳しく検診しますから。」
確かに食事を取らないことで身体機能の低下は見られるが、それが全てとわかるのは本人だけじゃない。
勝手に決め付けられるのが、一番厄介だと付け加えたくなりつつも、その場を収めた。
既にこれ以上の検診を嫌がっている節のあるルークに、これ以上の追い討ちをするのは、はばかられたからだ。

そのジェイドの裏を読み取り、ルークは
「わかった。」
と、小さく反応した。








「では、意識もしっかりしてきたようですし、アッシュを呼んできますね。」
椅子に座りながら診察していたジェイドは、そう言うなり機敏に立ち上がった。

対するルークは、その名が表に出てきたことに少し肩をすくませて。
「あ、あのさ!」
「なんですか?」
のどの奥で物が突っかかるような声を出したルークに反応して、ジェイドは振り返る。
しかし、呼び止めたわりにルークは直ぐに言葉を続けようとはしなかった。


「…悪いけど、アッシュにはここに来ないように言ってくれるかな……会いたくないんだ。」
最後の言葉は本当に消え入りそうで、自分でも言ったかわからないぐらいだった。

それでもジェイドにはニュアンスを含めて伝わったらしく、その目を細めた。
中途半端に振り返っていたのをきちんと示して、ルークに改めて向き直る。
「何を言っているのです。あなたを一番気にかけているのは、アッシュですよ。」
少し呆れるぐらいの音をジェイドは出した。

今この場にアッシュが居ることが出来ないのは、一入に忙しいから。
ジェイドはアッシュがどういった責務を果たしているか細かいところまでは知らないが、ローレライ教団に勤める者の中でも重要な地位についていることは知っている。
先日、ユリアシティへヴァンの墓参りに行ったのも、結構な強行だったらしい。
その忙しい合間を縫い、ルークの様子も随分と身に来ていた。
そのことはルーク自身も十二分にわかっているであろう。
それなのに、そんな彼に会いたくないというのは、どういうことであろうかと、諌めた。



「ごめん。でも、今は………
次にアッシュと向かい合うときは、決めているから。」

今は駄目なんだ。
もう少し……この我侭を引き伸ばすくらいは許して欲しかった。
そのいつかは、本当に近いとはわかっていたが。
















「まあ、いいでしょう。」
それだけの言葉を置き残し、ジェイドはルークの私室を出た。
これは、当人同士の問題である。
ジェイドは全くの部外者というわけではなかろうが、足を踏み入れるべきではないと思ったし、自身の思う事は伝えたつもりであった。

腑に落ちないこともたくさんありはしたが、ジェイドはそのままの足で、宗教的意味合い深いダアト教会の通路を練り歩く。
巡礼者ならば限られた区域を行き来することは出来るが本来ならば、ここはあまり自由に出入りできるような場所ではない。
それほど多くの人とは行き交うこともせずに、目的の人物であったアッシュを見つけた。
この広大な教会内で鉢合わせることが出来るなど、珍しい部類に入るのだろう。
当人のアッシュは一人きりでいたわけではなく、音叉の模様が描かれた法衣を纏った神託の盾オラクル騎士団兵から何やら報告を受けていた。
神妙な面持ちで対面する兵の言葉を聞いていたのだが、やがて一言二言だけ口を動かし、そのまま兵は一礼をして場を去っていく。
それは、ジェイドに気づいたからであろう。
そのままこちらにやってきた。



「ルークの様子は、どうだ?」
この数日間に幾度か繰り返した何度目かにもなるその言葉を、アッシュは言った。
なるべく時間を詰めて見に行くようにはしているが、ジェイドの方が付いていることが多い。

「先ほど、目覚めましたよ。手短に診ましたが、とりあえずは大丈夫というところでしょうか。」
「そうか。」
突っ張っていた肩を緩め落としてアッシュは安堵した。
やらなければいけないことは山のようにあるが、やはりそれが気がかりでうまく運べなかったし、事実何よりも心配なことであった。
アッシュ自身は医者でもなんでもないから、全てわかるなんてことはないが、それでも目覚めて意識があるようならば、良い方向に向かっていると思ったし、思いたくもあった。

ジェイドの言葉を受けて、アッシュは次の足行きを示そうとしたが。



「ルークは、あなたに会いたくないそうですよ。」
一息ついてから、ジェイドはそう言った。
揺さぶりをかけるような口ぶりをわざとしてみた。
もっと思いやることの出来る言葉も選べたが、しなかった。
今、当然のようにアッシュが向かおうとしていたのはルークの元であったから、足が止まった。

「…そうか。」
先ほどと同じ言葉ではあったが、意味合いが全然違った。
どうしてだ?と聞き返す場面なのかもしれないが、それをアッシュはしようとは思わなかった。
これは、ジェイドに聞いても仕方のないことで、当たるつもりもなかったから。
それをアッシュはよくわかっていた。










「そういえば…先ほどは遮ってしまったようですけど、話は大丈夫でしたか?」
何も言わないだろうとわかっていたから、ジェイドは話を変えた。
アッシュと神託の盾オラクル騎士団兵の会話内容はわからなかったが、邪魔をしてしまったという自覚はあったから、一言置いた。

「そうだ。マルクトでも、同様の事件が起きていないか照合しようと思っていたところだった。」
直ぐに頭を切り替えて言ったアッシュの言葉は、あまり色よいものではなかった。
「事件?」
軍人としてのジェイドを必要とする単語が出てきて、その言葉を繰り返した。
マルクトで治安維持活動をしているのは、警備隊などでもあったが、大規模なものになると軍へ指導権が代わる。
今のところジェイドが抱えているような事件はないし、そんなものがあったら有給などというのん気なことも出来ない。



「数ヶ月前から、ダアトやレプリカの街で人が襲われるようになった―――」
まずアッシュは完結に結論から言う。

「人が…ですか。魔物の類に襲われたのですか?」
魔物の凶暴化は時としてありうることであるから、そう驚くことではない。
新種の魔物や産卵期による啓発など、可能性はかなり高いと言ってもおかしくはないし、そう考えるのが通説でもあった。
「いや、当事者の話によると、人による犯行らしい。それも単独。しかし、きちんと姿を見たものはいない。」
「それだけ不可解な事件なのに、どうして今までマルクトに伝わらなかったのですか?」
キムラスカ、ダアト、マルクト間は同盟を組んでおり、情報の行き来が盛んになっている。
本当の国家危機に関わるようなことは安易に伝わらないであろうが、そのような猟奇的な事件ならば協力要請が来てもおかしくない筈だった。
しかし、その事件をジェイドは全く初耳だった。
「襲われると言っても、腕を少し切られる程度だったりと、致命傷ではないものばかりでな。だが、最近は襲われる頻度が増してきているから、マルクトにも広がっていないかと思っている。」
規則性はないが定期的に犯行は繰り返される。
その傷は、ほんの切り傷程度という場合も多いから、一体目的は何なのか掴めないし、犯行声明のようなものも出ていない。
事件の本筋は、限りなく掴みにくくあった。
「マルクトで、そういった事件は起きていませんね。」
思い当たる節を巡ってみたが、似たような事件は記憶になかった。
ダアトとレプリカの街は同じ一つの大陸にある。
他の大陸にも移るようなことがあれば、大規模になるということであろう。

「なら、いいが。あと、これは……教団でも一部の人間にしか伝えられていないことなんだが。」
一つ言葉を区切ってから、アッシュは続ける。


「襲われている人間は、今のところ第七音譜術士セブンスフォニマーとレプリカだけだ。レプリカの街での犯行が多いからそうなのかもしれないがな。」
言葉を濁しながら、言い切った。

確かにダアト、レプリカの街共に、レプリカの割合は強く占めているから、そういう考え方も出来なくはなかった。
しかし、第七音譜術士セブンスフォニマーを考えると少々事情が違う。
さすがにダアトは、ローレライ教団のお膝元であるから他の街よりは第七音譜術士セブンスフォニマーは多いであろうが、それでも今となっては稀少な存在だ。
それが狙われているように限定されるということは、他の可能性も考えたほうがいいだろう。
ダアトの治安は、普段はそれほど悪くはない。
預言スコアに酔狂さえしていたオールドラント民が何かしでかすということは、本当に少なかったからむしろ、アッシュがこちらに来てから初めて起きた大々的な事件に成り得るくらいであった。








「最後に人が襲われたのは、最近ですか?」
アッシュの淡々とした説明内容に眉をひそめながら、ジェイドは聞いた。
「少し前だな。俺たちがユリアシティへ行っている間は何も起こらなかったと、今報告を受けた。だから…」
「もしかしたら、数日中にまた襲われるかもしれない……ということですね。」
あまり言いたくなかったであろう言葉を、代わりにジェイドが続けた。
アッシュは頷きはしなかったが、否定するそぶりも見せなかった。



この事件は、必ずまた起きるであろう。
そのことを暗に示していた。











ふと、第七音譜術士セブンスフォニマーでもありレプリカでもあるルークの存在が、二人の頭に過ぎった。






















アトガキ
別にアッシュといるのが息苦しくてルークは倒れたわけではありません。が。
しばらく、こんな感じです。
2007/01/04

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