「では、私たちはここでお待ちしてます。」 ローレライ教団教会内はとても広い。 階級によってエリアが厳格に定められており、その節々に教団員がいるのだ。 トリトハイム詠師の部屋は教団でも最上階部分に当たる場所で、いくら警護のためとはいえ白光騎士団員が軽々しく入れるような場所ではなかった。 アッシュのような王族が護身のために剣術をならっているのは、こういう時のためでもあった。 元々静かな空間ではあるが、夜という時間帯のため人通りは殆ど無い。 一本道なので迷う事は無いはずで、確かにその通りではあったが、予想外のものもアッシュの視界に飛び込んできた。 上層部へと向かう紋章陣の周りを何度もぐるぐると回ったり、近くの壁をよじ登ろうとしているのは、紛れも無く先ほど現れたルークだった。 「てめえ、帰れって言っただろうが。」 急いで近寄り、アッシュは怒気を孕んだ声を浴びせた。 自分自身では認めたくないが、アッシュとルークの顔は似ている。 同じ顔の人物が、こんな不審すぎる行動をとっていては、アッシュにとってはマイナス以外の何物でもなかった。 「だってさ、この装置動かねぇんだぜ。」 この、この。と足で踏みつけながら、ルークは紋章陣を示した。 教団でも一定以上の階級を持つ人物にしか作動させられないようになっているワープ機能を持つ譜業なので、ルークごときがどうこうしても動作しないのは当たり前だ。 「お前には関係ない場所へ行く装置だ。」 「関係あるつっつーの。イオンって知ってるだろ?」 冷たく言うアッシュを引き止めるためにルークはその人物の名前を出した。 「ローレライ教団最高指導者で在らせられる導師イオンのことか?」 予想外に大物の名前が出たのでようやくアッシュは興味を示した。 キムラスカ・ランバルディア王国とマルクト帝国が険悪な状態になっているのは、一般市民でも知っている事だったが、その両国の調和を取りまとめている事実にイオンの存在は大きい。 無視をしたくても出来ない名前というのが正しいことでもあった。 「今、こっちに居るイオンは、元々俺たちと同じ鏡の国に居たんだよ。でもオリジナル…この世界のイオンは死期が迫っていたらしい。それで自分が死ぬ前にレプリカであるイオンをこったちの世界に呼んで自分の身代わりとして置いたんだ。 だから俺は、イオンを元の世界に戻すために来たんだ。」 寂しそうに、でもはっきりと意志があることをルークは伝えた。 「………仕方ねぇ。着いて来い。」 しばらく考えたアッシュはやがて、くるりと後ろを向いて、背中でそう伝えた。 今ローレライ教団と何か起こしたら国際問題にも発展するかもしれない。 その危惧を持ちながらも、自分のレプリカを引き連れた。 元々トリトハイム詠師に呼ばれているのは間違いもない事実。 そちらへ向かいつつ、用を済ませる。 その内容としても明日の会合に関する確認が行なわれただけなので、さほど時間もとらなかった。 ただ真っ直ぐ帰ることはせず、導師イオンの部屋を探した。 上層部にはそれほどたくさん部屋があるわけではないようだった。 限られた人物しか入れないのだからそれも当たり前で、しかしイオンの部屋は意外とこじんまりとした狭いフロアの一角にあったのだ。 「イオン!」 静かにしていろと散々忠告して連れて来たのだが、あっさりとそれは破られて、ルークはイオンの姿を廊下で見かけると名を呼んだ。 周囲に一人の導師守護役がいるにも関わらず。 「もしかして、ルークですか?」 一瞬震えた背中から驚くようにイオンが反応を示した。 「そうだよ、ようやく見つけたぜ。」 「どうして、こちらに………いえ、では彼がアッシュですね。はじめまして。」 直ぐに全てを悟ったイオンは、側で頭を抱えるように呆れていたアッシュへと言葉をやった。 自身も鏡の国からオリジナルの元へやってきたのだから、多分ルークも同じなのだろうと検討はついた。 「アッシュ・フォン・ファブレです。こちらこそ、はじめまして。この度は書簡を届けにこちらにお邪魔しました。」 不自然にならないようにアッシュはうまく言葉を返した。 「イオン様。お仕事の話ですか?」 側に控えていたイオンと同じ年齢の少女が問いかける。 服装から状況から見ても、彼女は導師守護役に間違いないだろう。 「アニス。すみませんが僕は部屋に戻って話を聞きますので、下がっていてもらえませんか?」 「わかりました。では何かあったら呼んでください。」 やんわりとした物言いのイオンに賛同するように、明るく少女は下がっていった。 そしてルークとアッシュの二人は、部屋に案内された。 意外と近くにあったらしい、イオンの部屋は驚くべきほど簡素だった。 一般階級から見ても普通の部屋という認識が出来るぐらいで、ローレライ教団最高指導者がいるのはこじんまりとしすぎていた。 「どうぞ、座って下さい。」 二人分の椅子を奥から出されて促されたのでアッシュは一言断りを入れてから座ったが、部屋の様子以上にイオン自体に感心が向いていた。 導師イオンの名は高く、直接会ったことはないが、人柄は聞き及んでいる。 正直、こんな性格だったか?と驚いた。 ルークが言うには、彼はレプリカであるからオリジナルと性格が違うのがデフォルトなのかもしれない。 実際、自分とルークの性格の違いは前途の通りだから、そう納得する事にした。 「それで、ルーク。どうしてこちらに?」 ようやく息の落ち着いたところで、イオンが尋ねる。 「もちろん、イオンを連れ戻しに来たに決まってるじゃないか。こっちの世界にいたって、フェンデ兄妹…ヴァンデスデリカとメシュティアリカがいるんだから、ローレライの鍵の行方だってわかるんだろうし、それがあれば元の世界に戻ってこれるってイオンだって知ってただろう?なんで今までこの世界に留まってたんだよ。」 珍しく声を抗えてルークは訴えた。 「ルーク。僕は元の世界に戻るつもりはありませんよ。」 「どうしてだよ。イオンがいるべきなのは、俺たちの世界だろ。」 「そうですね。オリジナルのイオンが亡くなる前までは、それでも良かったのだと思います。しかし、今では……… アッシュ、申し訳ありませんが現在のキムラスカとマルクトの状況を簡単に説明してもらえますか?」 イオンは落ち着くことの出来ないルークをなだめるために、一旦アッシュに話題を振った。 「…冷戦状態と言う表現が正しいだろうな。今、両国はローレライ教団の仲立ちの下、あやうい均衡の上にいる。今、ローレライ教団最高指導者である導師がいなくなれば、一瞬でも均衡は崩れ戦争になるのが事実だ。」 自国のことながら情けないが客観的に見なくても、これが今のオールドラントだ。 「じゃあイオンはオリジナルの代わりにこれからも?」 「そういうことになります。だからオリジナルは僕を鏡の中から呼んだのです。 僕は、自分を不幸だとは思ってはいません。身代わりでも、誰かに必要とされているならば頑張って行きたいんです。」 懐かしい…自分が生まれ育った鏡の国からこちらに来て二年が経つ。 オリジナルに呼ばれて来たという望まない形ではあったが、現実を知った。 鏡の国は平和で戦争なんて者とは酷く無縁だった。 でもここでは違ったのだから。 誰かを助けたいなんて、こんなにも思ったのは初めてだった。 「そこまで言われたら無理にでも引っ張っていけないじゃないか…」 そう呟いてルークはイオンに近づいて、ポンッと何かを手渡した。 丸く小さな腕輪のようなものを。 「これは、ソーサラーリングですね。」 「ガルディオス伯爵に改良してもらった特別製だよ。これで、どこの世界にいても声のやり取りくらいは聞けるからさ。ご両親も心配してる。たまには連絡してやれよ。」 本当はイオンを連れて帰りたかったけど、どこかでこう言われるのをルークはわかっていたのかもしれない。 「ありがとうございます。ルークにも連絡しますね。」 一番の友達であるルークが来てくれて本当にうれしかった。 物寂しく感じて少し泣きそうにもなるが、これが自分が決めた道だから頑張ろうと、声には出さずにイオンは実感した。 「さて、それじゃ俺は帰るよ。長居すると俺もずっとここに居たくなるかもしれないしな。アッシュ、色々とありがとな。」 場を見守ってくれたアッシュに明るく声をかける。 「本当に迷惑な奴だったよお前は。」 「あのさ。別れるときぐらい好意的なこと言えっつーの。」 アッシュの言葉に悪意なんて含まれて居ない事はわかっていたけど、何だか悔しくてルークはそう返した。 出来るならのんびりと旅行をするようにこちらの世界を見てみたい。 そして自分のオリジナルをもっと知ってみたかったから。 「帰りは、ローレライの鍵を使うんですか?」 「ああ、行きと帰りの二回分の第七音素貯めるのに一年以上かかったから、もうしばらく会えないけど。」 イオンにそう返しながらルークは横に下げていた柄から、見事な剣を取り出した。 剣自体もとても複雑な造りで、中央には不思議な赤い宝玉がはめ込まれている。 ルークはゆっくりと、アッシュの側にあった姿鏡に近寄ると、ローレライの鍵をそこにかざす。 鏡の中の時空を移動するために。 「じゃあ、またな!」 ぶんぶんと開いている右手を精一杯振りながら、ルークは叫ぶ。 段々と光量を増していく第七音素に負けないように。 ぼてっ、、、 決して小さな物ではない、何かが絨毯の上に転がり落ちる音。 「いたた………あ、戻ってきたのか。」 着地は見事に失敗してしまったが、確かにルークが降り立つのはファブレ公爵邸の自分の部屋 で、行きにローレライの鍵を使った場所だった。 目的地とは違うオリジナルのアッシュの元に最初に行き着いたのは、彼が媒体だからに過ぎない。 身を起こすと大丈夫だ。 普通に身体が動かせることに安堵を覚える。 「あーでも、一度バルフォア博士に身体見てもらった方がいいかもな。」 とりあえず無事に帰ってきたことだし、主治医に見てもらうことから始めようかと独り言を言ったつもりだった。 「その前に俺を元の世界に戻せ!この劣化レプリカが!!」 ゴンッと激しく頭を殴られたから、彼の姿も間違いだと思いたかった。 怒り狂っているアッシュが真隣に居た事にルークは気が付いてしまったのだから。 「もしかして一緒にこっちに来たとか………」 悪気があるようにとりあえず笑って、ルークは答えて見たのだった。 アッシュが元の世界に戻るためには、ローレライの鍵が必要で、その第七音素の現在の量は全くのゼロ。 やってしまったというのを隠すために。 こうして、前途多難な二人の暮らしが始まってしまったのだった。 アトガキ 2008/05/28 back menu next |