鏡の国のルーク 1  













見てはいけないものを見てしまった−−−
それが鏡の中にあったのだ。



この度、キムラスカ・ランバルディア王国の名代として、ダアトにやってきたのはファブレ公爵の唯一の子息であるアッシュ・フォン・ファブレだった。
第三王位継承者ではあるが、まだ十七歳であるアッシュがダアトに遣わされたのは、ケセドニアとの貿易関税の書簡を届けるためだった。
関税に関しては、毎年定期的に交渉が行われていることだったが、近頃の冷夏における作物の不作によりエンゲーブ産野菜の物価が高騰したため、キムラスカ内でも不満の声が高まっていた。
その緩和のために臨時で書簡が作られたのだった。
それは確かに大切な公務にあたるのでアッシュは任を了承したのだったが、元々小さい頃から公務に励んできたため宛がわれている仕事量は半端ではなく、ダアトに向かうまでは例のないほどの忙しさに見舞われていたのだった。
ローレライ教団総本山であるダアトは壮大に建立する。
白光騎士団の従者を何人か引き連れてアッシュが教団に到着すると、すぐに貴賓室に通された。
「では、私たちはこちらで待機しています。何かあったらお呼び下さい。」
部屋の前まで来ると、白光騎士団兵の一人がアッシュにそう伝える。
全員ではないが、彼らの中で交代交代で部屋の扉の前で待機をするようだった。
運良く、キムラスカ港からダアト港に向かう船が順調だったので、謁見の日取りより一日早くついたのは幸いだ。
中立と謳っているが、ここは他国である。
キムラスカ・ランバルディア国の名に恥じぬように振る舞いをしなければならなく、常に気を張っていたのだが、さすがに部屋で一人になったとき、アッシュは初めて気を休める事が出来た。
本当にここ数ヶ月は視察も含め忙しく公務に携わっていたので深々と息をつくのは久しぶりだった。
ふと時計を見ると夜会の時間が近づいてきている。
ローレライ教団は宗教柄、それほど華やかな夜会がおこなわれている訳ではないようだが、それでも時間が合う様ならご参加下さいと先ほど言われたのだった。
貴族が主賓となるようなパーティーにも最近のアッシュは忙しさにかまけて殆ど出席していなかった。
強制されたわけではないが、誘われた夜会の参加をどうするかと考えて、アッシュは鏡の前に立つ。
最低限の身だしなみはこなしているが、夜会に参加するならば髪を結い上げなければいけない。
休むか接待に付き合うかと考えていたのだが、ふいに鏡が揺れたように見えた。
その鏡を見たのは本当に偶然。
意識をそちらに集中させていたわけでもないので錯覚かと思ったが、とりあえず揺れる第一の原因となりそうな地震がおきたという体感はなかった。
鏡はアッシュの全身がうつるほどの大きさの姿鏡ではあったが、それを除けば端整な装飾品で飾られた普通の鏡と何一つ違いはない。
しかし次の瞬間には鏡の中の自分の姿が歪んだ。
曇り一つ無かったはずなのに、大きく円を描くように鏡の中がふにゃふにゃと揺れていたのだ。
「なんだ、これは…」
顔をしかめるアッシュだったが、これぐらいのことで騒ぎ立てて白光騎士団を呼びつけるのは癪だった。
一度だけ目をこすったが、とりあえず鏡に触ってみた。
そこには無機質な鏡の冷たさはなく、あっけなく空間を通り抜けるかのように左手首が入っていった。
吸い込まれる、と反射的にアッシュは左手を引く。
入るときよりずっと重圧感があったが、それでも何とか引き抜くことに成功した。

ぼてっ、、、
決して小さな物ではない、何かが絨毯の上に転がり落ちる音。
アッシュが引いたときに何かを掴んだまま出たようだった。
そして、その物体は鏡のようにアッシュと全く同じ姿をしていた。
「やっと会えたな、アッシュ。」
床に転がっていたアッシュのそっくりさんは、顔をあげてそうしゃべった。
あまりの出来事に突くような眩暈をアッシュは覚えた。
「お前は、誰だ?」
「俺?ルークだよ。鏡の国の、アッシュのレプリカってところかな。ほら、同じ姿してるだろ?」
ふわりと身体を広げてルークは自分の身体を示す。
確かに本人同士が見ても間違い探しをするように同じすぎていた。
ただ纏っている雰囲気がやや違うといったところだろうか。
「鏡の国…何だ、それは。とりあえず、早く帰れ。」
そんな話見た事も聞いたこともない。
大体、鏡の中に居るのは自分の姿が写ったという認識しかないアッシュにとって、中から別人が出てくるなどということは、考えの範疇に及ばない事だった。
「おい、軽くスルーすんなよ。話ぐらい聞いてくれたっていいだろう。」
てっきり驚くだろうと思ったのに、比較的冷静な自分のオリジナルを目の前に、驚くのはルークの方だった。
正直、ルーク自身だってオリジナルの存在は知っていたが、こうやって話すのは初めてで少し戸惑っている部分があるというのに、随分と性格が違うのだなと内心で思う。
「お前の存在自体が胡散臭いんだよ。俺のレプリカだと?だったら父親と母親といとこの名前を言って見ろ。」
激しく、う鬱陶しさを感じて、アッシュは突き詰めの言葉を嫌々ながらに出した。
「父上はクリムゾン。母上はシュザンヌ。いとこは、ナタ…いや、こっちの世界ではメリルがそうなんだっけ?」
やっとマトモにしゃべってくれたので嬉しそうに、でも考えながらルークは答えた。
「メリルなんて知らないな。これで、お前は偽者。さあ、帰れ。」
「げっ、間違った。つか、しょうがねえじゃん。そっちの世界とは人間関係違うんだから。」
決め付けてくるアッシュに引き下がるルーク。
無情にもその声をアッシュは聞くつもりはない。

コン コン コン
「アッシュ様。トリトハイム詠師がお呼びです。」
扉の向こうから白光騎士団員の呼びかけが入る。
「今、行く。」
アッシュは短くそう答えると、さっさとルークを置いて部屋を出て行ってしまった。
後姿には、もう二度と姿を見せるなと現しつつも。
「ちょっと待てよ。折角、バルフォア博士の了承もらってガルディオス伯爵振り切ってきたのに………マジひでぇ。」
広すぎる貴賓室の鏡の前で、ルークは呆然と取り残されたのだった。








アトガキ
2008/05/24

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