さみしい。さみしい。さみしい。 繰り返す言葉と気持ちが拭えない。 「アッシュ。俺、猫を飼おうと思うんだけど、どうかな?」 珍しくお伺いを立てるような口調でルークはアッシュの自室へと尋ねた。 そこから始まったようなものだった。 「やめとけ。」 分厚い書類から目を離さずに、間髪いれずにアッシュは、そう答えた。 寸分の狂いもないほど明確に言いつけたのだった。 「何で、全否定なんだよ。」 あまりの返答の早さに、俺は反抗するように言葉を返した。 そもそも昔はチーグルであるミュウを屋敷で飼っていたことがあった。 しかしミュウは約束通りに季節がひとめぐりした後に、エルドラントの問題も終わってしまったために元のすみかである森へと帰ってしまった。 だから共存という障害はいまのところ見当たりはしない。 改めて猫を飼うということで、一緒の屋敷に住んでいるから一応許可をアッシュにもとらなくてはと思ったが、既に父や母は許してくれたのだ。 だからこそアッシュに拍子ぬけするように否定されたのは少し心外でもあった。 「お前、まだ生まれて10年やそこらだろうが。何もわかっていないからだ。」 書類を卓上にひっくり返した後、こちらにきちんと向き直って、しっかりアッシュは伝えた。 「そんなの、わかってるって。俺、ちゃんと世話するし。」 「それを問題にしているんじゃない。……だから、お前はわかっていないと言ったんだ。」 呆れたようにまた同じ言葉をアッシュは繰り返すだけだった。 「なんだよ。それなら、アッシュはペット飼ったことないのかよ。」 無知を突き付けられたのを嫌になり、俺は逆にアッシュに聞き返すことにした。 アッシュの昔なんてあまり知らないけど、それでも聞いて悪いわけがないと思ったからだ。 「ある…」 やや断定したあとに、その言葉には含みがあった。 でも今はそこまでルークの頭では処理がしきれなかった。 「じゃあ、俺だって、いいじゃんか。」 そういう言葉が自然に出てくる結果となる。 ルークにだけペットを飼ってはいけないなんて、そんな通りはまかり通らない。 「勝手にしろ。ともかく俺は忠告だけはしたからな。」 ふいっと視線を外して、またアッシュは机へと向かってしまった。 それからルークが何を言っても、反応はなかったのだ。 「勝手にするよ。」 答えが曖昧なのはそっちじゃないか。 頭ごなしに何か決めつけられて、ちょっと俺はムキになった。 大体、何で飼いたいんだとかそういうことも聞かずに、何が悪いっていうんだよ。 俺の言葉はやっぱりアッシュには伝わらなく、何も与えられないし、貰う事も出来ない。 エルドラントから帰って来ても、かろうじて同じ屋敷に住んでいるという接点以外、昔と変わらないんだ。 近くにいるからこそ、余計に目について気になってしまうというのに、何もできない自分が不甲斐なくだけいて、何かを求めてしまっていた。 「にゃー」 銀色の毛並みを持った子猫は、しっかりとした目付きをしながらも鳴いた。 それで、俺は直感的にこの子に決めたのだった。 瞬く間にファブレ侯爵家の一員に加わることとなった子猫は、皆に愛された。 母親はもちろんのこと、あのお堅い父親でさえ、ふと子猫の姿を見ると微笑を携えたものだった。 メイドたちはほぼ勝手に子猫のお世話当番をローテーションで組んでおり、執事のラムダスはせっせとペット用品を手配している。 そんな中、ただひとり変わらないのはアッシュだった。 決して子猫が嫌いなわけではないし、無視をするわけでもないが、ただ前にするとどこまでも普通に扱ったのだった。 だから、余計につまらない。 俺は、忙しい公務の合間にもなるべく子猫の世話をした。 アッシュに対して必ず世話をすると言い切ったというだけではなく、本当にこの子が可愛かったからだ。 裏表も屈託もない子猫の様子はどこまでも、俺を癒してくれたのだ。 一人ではない寂しさを埋めてくれた。 それから1か月も経たないある日の朝であった。 いつもの時間に目覚めたルークが、ベッドサイドに置いてある子猫の寝床を見ると、異変に気がついた。 いつもは丸まって行儀よく寝ている子猫が、今日に限ってはバタンッとだらしなく手足を伸ばしたまま横に倒れていたのだ。 急いで子猫の入った籠を持ち上げて、医者を呼ぶ。 ただ、医者といっても動物をペットに出来るのは上流階級の人間くらいなので、後の獣医と呼ばれる人間は限りなく少なかった。 ようやくファブレ公爵邸へとやってきた獣医は、子猫の容体を軽く見た後、あっさりと結果を言ってしまった。 「残念ですが、既に亡くなっています。どうやら、この子は生まれつき持病があったようで身体が弱かったようです。初めからどうにもならなかったようでしょう。」 慣れているらしい残酷な言葉を獣医は伝える。 それからはあっという間の出来事すぎたのだ。 涙さえ出るわけがない。 ルークの手元にやってきた子猫は生後3か月ほどで、それから1か月しか経っていない。 たった4ヶ月の命だったのだ。なんて、短い。 猫の平均寿命を知っていたとしても、あまりにも儚い命であった。 ルークの片手ほどに乗る子猫を、あえて両手で包み込むように持ち上げた。 離れがたく、どうすればいいのかわからなかったのだ。 みんなルークの沈んだ気持ちがわかっているからこそ、慰めの言葉をかけた。 せめていつも眠っていた自室に連れて行こうと、ルークは中庭に差し掛かった。 「アッシュ…」 暗い顔をあげると、中庭には明らかにルークを待っていたというような様子のアッシュが立っていた。 「だから飼うなって言ったんだ。どんなに好きで一緒にいても、どっちかが死んだら悲しい…別れは突然来る。ましてや犬や猫は寿命が短いのだから。」 「俺、わかっていた…つもりだったんだな。」 たとえ子猫が寿命を全うしたとしても、きっとルークより早くに死ぬに違いない。 好きでも愛しても早いか遅いかの違い。 まだ大人なふりをしても子供みたいなルークには耐えきれなかった。 1か月という短い期間でさえ、傷が浅いというわけでもない。 アッシュは、呆然と立ちすくむ俺を前にして、子猫の小さな墓を作ってくれた。 冷たくなった亡骸を名残惜しくも、土の上へと置かれる。 「今まで、ありがとう。これからも俺を見守ってくれ、よな。」 ようやく流れた一筋の涙は、見送る為に空へと輝いた。 そんなルークの、どこまでも前向きで、素直な様子をアッシュはしばらく見続けていた。 自分が幼少のころにも全く同じことがあった。 子供ながらの経験の語りをしただけだが、自分はあのとき涙を流したのか、もはや覚えてはいない。 そう、ルークは自分とは違うと決定的にアッシュは知っている。 だから近寄らない。 押し殺していた感情が崩壊してしまうじゃないか。 『どんなに好きで一緒にいても、どっちかが死んだら悲しい…別れは突然来る。』 先ほどルークへと戒めのために出した言葉が、そのままアッシュ自身に跳ね返ってくる。 自分は、この思いを決して、目の前のルークへ口にしないだろうと思い知るのだった。 アトガキ 2009/06/12 back menu next |