聖なる焔の燃えかす アッシュ それだけが与えられた、彼の代名詞 僅かながら漏れ見た空。 障害物がなければ広いものだと、写真の中で知っている。聞いたこともある。 だから、漠然とは知っているが、それが本物なのかはわからない。 空だけではない。 アッシュに与えられたものは、本当に限られた世界であった。 ガチャンと、確実な鍵の閉まる音がする。 屋敷の裏口にアッシュが入ったことを確認すると、監視という義務の終えた名も知らない白光騎士団の一人がやった行動であった。 会話を交わすこともない。 ただ、アッシュが一連の動作をするのを見ているだけ。 研究所から屋敷間の移動はいつもこんな感じであるので、もう何の感情も沸き立つことはなくなってしまった。 ガチャリ 続く内扉のノブを回して、早々に中に入る。 その、いつもで最後の確認業務を終えると白光騎士団員は、報告のために戻っていった。 それを確認していたのはアッシュの方で、緊張の糸をやんわりと解す。 とたん襲い掛かる、胸焼けのような軽い吐き気と眩暈が表情に出る。 毎度のことであるが、この類の身体の痺れは一生慣れることのない。 身体に慣れろと命令するが、その領域でカバーできるような辛さではなかった。 幼少のときのように喚くようなことはしないが、それでも苦痛で顔は歪んだ。 静寂のためにいつもやっている一連の行動をすませると、段々と息が整ってくる。 この場所は、ファブレ公爵家にあるいくつかの裏口の一つであるようで、アッシュがここで他の人物と行き交うことは一度もなかったので、全てを整えるにはもってこいの場所でもあった。 むしろ、異端と言われているアッシュ専用なのかもしれない。 とても正規に使うような、便利な場所に設けられている入り口ではなかったから。 反面、対物線上にあるのは、エントランスのある正面玄関。 アッシュが一度も出入りしたことのない本当の入り口であった。 近寄ることさえもない。 客人の目に触れるようなエリアは、アッシュは踏み入れてはいけないと言われていた。 元々、いない存在であるのだから。 屋敷内でもアッシュが移動できる場所は、ほんの一握りに限られていた。 行き場のないアッシュに与えられているのは、簡素な部屋だけ。 さすがにファブレ公爵の屋敷であるからして、みすぼらしいと言う事は全くないのだが、アッシュが特に望まないため、装飾等はなく必要最低限の物しかおかれていない。 空白を埋める時間を過ごす為、アッシュはその自室に戻った。 少し廊下を歩くとすぐに着くので、アッシュは特にノックもせずに入ろうとする。 自分の部屋であるし、部屋の清掃を義務的にするメイドは、アッシュがいない時間帯を狙って必ず清掃していたので、鉢合わせるようなことはない。 だから、いつもどおりにその扉を開けて中に入った。 「…何をしているんだ?」 想定していなかった人物がいたので、そうアッシュが呼ぶと、ドサドサッと気持ちのよいくらい物が落ちる音がした。 「ア、アッシュ!?おかえり…」 驚きと申し訳なさそうな顔をいっぺんにしたのは、ルークであった。 驚きの原因はアッシュが突然部屋に入ってきたからであろうが、申し訳ないの原因はもちろんルークの足元にある。 無残にページが割り開いてばら撒かれた、本たちであった。 大方、驚いた拍子に目の前にある本棚の手を外したのであろうが…ものの見事というべき惨状であった。 「戻ったが、これとはな。」 はあっと軽い息を一つつきながら、アッシュは本の数々を拾い上げる。 ジャンル別に順番に並べられた本棚の元の場所に戻しつつ、ルークにそう言った。 アッシュにとって、ルークは一応双子の兄へある。 しかし、そのことも当然の如く認められていない。 世間一般では、アッシュの存在はなかったことにされているから。 生まれてきてはいけなかったのだろうかとも思うが、大切に生かされているのはどうしてだろう?とも思う。 好きで望まれて、生まれてきたわけではない。 でも、確かに自分は生きている。 双子として生まれてきた以上、同じで平等というのが通常の流れであろうが、こんな事情から幼少の頃からあまりにルークとアッシュの人生は対照的であった。 アッシュも最初は、ルークに対して劣等感はあったのかもしれない。 この境遇がいいとはもちろん思ってはいない。 でも、不幸ぶるつもりし、現状維持で構わないと思ったから、足掻くこともリアクションも特にとろうとは思わなかった。 聖なる焔の光と呼ばれたのは、ルークだから、ルークだったから、別にそれほど気にはならなかった。 ほかの誰でもない。 ルークがいたからこそ、アッシュは救われている。 「あまり昼間にここへは来るなと言っただろう。父上に知れたら、また怒られるぞ。」 意図はよくわからないがファブレ公爵は、アッシュとルークの仲が良いことをよしとしていない。 各々決められた役割をこなすことを、父は望んでいる。 そうすればの、約束の代償がある。 ルークが、頻繁にアッシュの部屋を訪れていることが知れて、前に咎められたことがあった。 それ以来、二人が会うのは決まって夜が多かったから、アッシュもルークが部屋にいて多少驚いた。 まあ、お互いを気にかけるなという方が無理なことではある。 半身なのだから。 いや…そんな生半可な言葉では言い表せないほどの存在になっている。 普通の双子だったら、こんな関係にはならなかったと思う。 「父上は、出かけているから大丈夫かなって。それに、言い訳もあるから。」 「言い訳?」 小ずるいとは、無縁のようなルークからそんな言葉が出て、アッシュは復唱する。 「今日の公務が取りやめになったから、帝王学の勉強しようと思って…アッシュの部屋ならたくさん本があるから、借りるって名目で。」 と、本を取りながら生意気そうに笑った。 本当はアッシュが帰ってくるのを待っていたというのが、紛れもない本心。 足を運びたくなって仕方なくて、いつもルークは口実を考えてしまう。 そりゃ、アッシュが居た方が断然うれしいけど、この部屋にいるというだけでも心が休まる。 唯一のアッシュ以外、誰もいないこの場所は、本当の自分を出せる空間であったから。 負い目からではなく、ここが一番安心する。 英雄という与えられた仮面を被る必要もない。 定められたとはいえ、ユリアの どこかが、何かが、違う。 そんな違和をかかえて生きる。 それでも反発せずに順応したのは、唯一の心の支えであるアッシュがいるから。 本当に一人だったらそれこそつまらないだろうし、俺は傲慢知己だったろう。 だから、ありがとう。 ほかの誰でもない。 アッシュがいたからこそ、ルークも救われた。 「この本、たしかおまえの部屋にもあったぞ。」 ルークの持っている装丁を見つつ、アッシュは言う。 「え?そうだっけ…あまり読み込んでないから、気がつかなかった。 アッシュは、屋敷にある本は読破したんだっけ?凄いよな…俺とは大違いだ。」 尊敬の念を入れつつもルークは、しゅんと表情を下げた。 まれに一緒に家庭教師から勉強を教わったりするが、元本にあるアッシュとルークの知識量は相当に違った。 きびきびと的確に質問に答えている様子を見れば、誰だってアッシュが忌み子だとは思えないであろう。 容姿は一緒であるが根底にあるものは、全然違うなとルークはいつも思っていた。 「おまえが公務に行っている間は、暇だからな。時間つぶしに読んでいるだけだ。」 「それを時間つぶしって、言えるのは凄いよ。」 頷く様に感心しながらルークは言った。 時間つぶしとはとても思えないような各種の専門書も多々あったが、アッシュは別に好き嫌いなく読んでいたから。 何でも知ってるようにさえ感じた。 「アッシュだって、最近は随分と研究所の方に行ってるようだから、暇じゃないだろ。 と………あ、その、身体は大丈夫か?」 NGワードを出してしまって窺い知るように、ルークは聞いた。 研究所での超振動の実験は、ルークも幼少の頃に受けたことがあった。 そんなに明確には覚えていないのだが、適正がないといわれて以来、行っていないから内情はわからない。 かなりの痛みを伴うことはわかっていたし、アッシュの身体には痕が残っていることもあったので、辛いことに違いないことは知っていた。 でも、当のアッシュは気丈で、研究所での出来事は固く口を閉ざしていた。 「コントロールがうまく行かなくて、たまに暴走するだけだ。心配するな。そんなに柔にはできていない。 おまえこそ、飛び回っているが身体は大丈夫なのか?へんに期待を背負うなよ。」 アッシュとしては、ルークこそが心配であった。 聖なる焔の光として必要とされていることだからと割り切って、無理をしている気がする。 アッシュの存在が気にかかって、不安の渦に駆られて、言い表せない心を持ち続ける。 いつかストレスで潰れてしまうかもしれないと、気にかけていた。 「俺こそ大丈夫だよ。お飾りみたいなもんだから、必要なのはユリアの 酷いとわかっているからこそ、せめて超振動の実験は止めて欲しいといったが、これも全く通らなかった。 全てはキムラスカ・ランバルディアの繁栄の為に必要なコトと、言われる。 だからアッシュに比べれば、ルークがやっている公務など大したことのないように思えた。 「そうだ、アッシュ。俺と入れ替わろう?本気になったら、誰も見分けがつかないし。」 たとえ、一回でもよかった。 冗談ではなく本気で、ルークはそう言った。 ファブレ公爵からは、絶対に髪を切るなといわれており、アッシュもルークも燃えるような同質の長い赤髪をもっている。 分け目と表情を少し変えれば、入れ替わったとしてもすぐには露呈することはないだろうと思う。 同じように立ち振る舞えないことが、ルークには歯がゆくて仕方が無かったから、いつか提案してみようと考えていたことであった。 アッシュは、「気にするな。おまえのせいじゃないから、気に病むようなことじゃない。」とは言っているけど。 いつも周りには誰も居なくて、居ることを許されないなんて、ルークは考えるだけでもぞっとしてしまうから。 「駄目だ。俺たちが双子だと世間に知れたら、どれだけの騒ぎになるかわかっているだろう。」 いくら同じとはいえ、アッシュとルークはいつも一緒にいるわけではないから、お互いになりきることは出来ない。 どこかでボロが出たら、存在を揺るがす大惨事になることはたやすく想定できたから、頑として拒否をしてアッシュは首を縦には振らなかった。 「…アッシュは、外を見たくはないのか?」 寂しい様に聞く。 外が素晴らしいだなんて一概には言えないけど、それでも見ることも出来ないなんて残酷だ。 屋敷がいくら広いとはいえ、限られた空間に閉じ込められているとしかルークには思えなかった。 「別に見たくないわけじゃないけどな。おまえの気持ちだけは、受け取っておく。」 この閉ざされた生活が退屈じゃないと言ったら、それは嘘になる。 興味がないわけでもないし淡い思いを、昔は抱いたこともある。 だが、一人で見ても感じることは少ないであろう。 成人の儀でもある20歳の誕生日になったら、軟禁は解かれるとの約束がある。 そして、一緒に行きたいところがいっぱいあるというルークの約束がある。 そちらの方が、一人より何倍もいい。 ユリアの でも、誰も恨むつもりはなかった。 恨む対象は、 勅命をした、インゴベルトか? アッシュの加護を全くしない、父か? ただ提示されたことに従う、国と国民か? すべての根源かもしれない、預言(スコア)か? だったら、世界を恨まなければならなくなる。 唯一の存在であるルークが、いる、生きている、この世界を。 ルークを守れるならこういう形でも悪くはないと思うから、アッシュはどこまでも自分の立場をわきまえた。 「アッシュが外を見たら、俺以外の人を好きになるかもしれないよ。」 危惧はするけど、ルークはずっと思っていたことを言ってみた。 アッシュとルークは、好き合っている。 でもそれは、アッシュに接する人間がほぼルークぐらいしかいないからの幻想なんじゃないかと思ってしまう。 存在を認知されないアッシュの世界で、光はルークのみであった。 ただひとつの心の置き場として見られているのかもしれないと、時々どうしようもなく不安になる。 「それは、ないな。 おまえは外を見ている。だが、俺が好きなんだろ?」 アッシュは、断固に即答して質問でそれを返す。 「うん、好きだ。」 虚はつかれたがそれは紛れもない事実だから、肯定を促すようなアッシュの言葉に違えずに、ルークは明るく答えた。 アッシュのことを思うだけでも幸せになれるから、それは言葉だけでは収まりきれない。 「だから、同じだ。」 納得させるように、アッシュはその言葉を誇張する。 どこまでも同じ。 どこまでも一緒。 好きという次元をも通り越す、関係。 アッシュの世界全てがルークだったように、ルークの世界も全てアッシュによって成り立っている。 片翼同士で生まれればよかったのに。 そうすれば、ずっと二人で羽ばたけるから。 外に出続けるルークと、中に居続けるアッシュ。 これは、不思議でならなかったけど アッシュは、ルークが居れば他には何もいらなかった。 ルークは、アッシュが居れば他には何もいらなかった。 それは、全ての崩落の日まで続く アトガキ 2006/06/01 back menu next |