同じ姿の男が四人いる。 同じ顔の男が四人いる。 同じ声の男が四人いる。 同じ赤の男が四人いる。 それぞれ違う性格で、個別の人格を持つ奇跡。 四人で帰ってきたからこその、軌跡がここにあった。 アッシュの部屋は、確かに公爵子息の自室にしては少し狭い部類に入る。 そもそも数ヶ月前に十二年ぶりに異変にも思えるような帰還を果たした際に急ごしらえで屋敷内にスペースを確保したせいでこうなったのだが、別にアッシュ自身はそれを嫌だとは思っていなかった。 強いて言えば、ようやく帰って来た時、自分は一人ではなく、なぜか他にも同じ顔が三人も並んであったということが不満だろうか。 百歩譲ったとして、レプリカルークが一緒に戻ってきたのは気まぐれなローレライの恩情として、納得してやろう。 しかし、昔のレプリカルークやら、大爆発現象が起きた自分やらが一緒にいたら、さすがに「何だ、これは!」と叫びたくもなる。 その叫びはローレライに届いたのか届いてないのか知らないが、とりあえず戻ってきてからのコンタクトは一切なかったし、かつてあった繋がりも見事に消えていた。 つまり、どうしてこのような状況に陥ったのか未だに解明されていないし、ベルケンドでの身体検査も四人とも問題なし。 あれほど気にして焦っていた大爆発現象も自身にはだが、起こらなかったとなると、複雑な気持ちであった。 ともかく、四人いっぺんの子供が出来て両親が喜んだことだけしか自分には良かったことが思いつかない。 あれよこれよと全員まとめて王立学院に通わされ、四人含めた奇妙な生活が屋敷で始まったことは釈然としないままだった。 そして今、目前に迫る迷惑な音が、アッシュの耳に届き始めた。 バタ バタ バタ バタ ………… 部屋の向こうの広い回廊を走る、耳障りな音響。 ファブレ公爵邸の名に恥じない立派で厚い絨毯が敷かれているというのにここまで響くとなると、壁が薄いんじゃないか?と常々思うこともあるが、決して手抜き工事の結果ではないと、アッシュはわかってはいる。 振動は段々と大きくなり、やがてアッシュの部屋の前で一旦、ピタリと止まった。 「アッシュ!課題教えてくれよ。」 ノックもせずに、いきなりドアを開けてやってきたのは、同じ燃えるような赤く長い髪をもったルークであった。 よく観察すると髪質がアッシュとは所々違い、昼の太陽に照らされた髪先はオレンジがかった綺麗なグラデーションを示しており、特に結ばれたりはせずに輝いていた。 「てめえは、少しは静かに来れないのか?」 椅子に腰掛けたまま方向を少し変えて、アッシュは言う。 沸々と湧いてきた不機嫌さを前面に出していることに当のルーク自身は気が付いていないが。 「まあ、いいじゃんか。どーせ、アッシュも課題やってたんだろ?」 悪びれもせずに、ぷらぷらとルークはアッシュの机上を示した。 そこには確かにアッシュもやりかけの課題が現在進行形で広がっている。 アッシュの返事も待たずに、ルークは手一杯に持っていた、課題に必要な本とメモ帳をぐちゃりとその隣の机に置き、早速教えてもらう体制にさっさと入ってしまった。 勝手に椅子を引き、アッシュの隣に座り込む。 「どうして、てめえはいつも俺のところに来る。アシュやルクに聞けばいいだろうが。」 七歳児レベルの頭から、さあ二十歳になりました。帝王学の勉強をします。頑張りましょう。というのが大変ということは、しぶしぶ認めてやっても良かった。 ルークの頭はそれ以上に弱いような気もするが、それはあとでガイに会ったときにでももう一言嫌味を言えば我慢も出来よう。 しかし、宿題という名の課題が出る度に、毎度毎度毎度…自室に押しかけられるのが恒例になっているのは気に入らない。 別にあまり考えたくも無いがアシュは自分と同程度の頭を持っているし、ルクだって劣化しているとはいえ努力だけは人一倍しているので、課題くらいは教えられるだろう。 なのに、いつも自分のところにばかり来るのは何でだ!と言及する。 おかげで、誰ともつるむ気なんて無いのに、アッシュとルークは仲がいいとか皆に勘違いされていた。 「だってさ。アシュだと妙に丁寧で先生に教えてもらうような気分になるし、ルクは教え方が下手でとろい。その点、アッシュは要点だけ言うからわかりやすいんだよ。口が悪いのはマイナスだけど、お互い様ってことで俺には合ってるからさ。」 悪びれもなくルークはズバズバとそう言った。 「そんな消去法で選んでもらって俺が、嬉しいとでも言うと思ってんのか?大体、課題ってのは自分でやるもんだろーが。」 褒められているような、貶されているような返答をされて、アッシュはそれほど楽しくも無い気持ちになる。 「それがさ。今日の課題はルクも難しいとか何とか言ってたんだぜ。俺が自力で出来るわけねーじゃん。」 頭の後ろで両手を組みながら、だらだらと言い放つ。 ざっと開かれた目の前は真っ白で、まだ一つも解いていない事を示している。 「開き直るんじゃねえよ!」 直ぐに半分だけ怒ったアッシュの激が飛んだのは言うまでもない。 それでも文句を言いながら付き合ってやるのは、ルークと気が合うというのだけは賛成できる点だからであろうか。 あろうことにか、自分のことを好きだとか意味不明なことをほざくルクや、何考えてんだかよく分からないアシュに比べたら、ルークは良い意味でも悪い意味でも扱いやすかったから、側にいてもさほど邪魔とは感じはしなかった。 当たり前のように隣で何回もというか、絶え間なく質問してくるルークに適度にポイントを教えて進める。 ルークは自身が駄目だと分かっているので、人に聞いて課題をこなそうとしている意気だけはある。 そこは自分には無いものなので、アッシュは密かに評価してやっているのだった。 しかし、 「だりぃ、疲れたー」 ようやく二人とも課題を終えた時、ルークはめんどくさそうに呟く。 二人が机に向かっていたのは僅かに一時間ほどではあったが、普段生真面目に勉強などしないルークにとっては休憩なしでここまでやると、長時間扱いだ。 材質の良い椅子に座っていたのだからそれほど疲労は感じない筈だが、思わず立ち上がって軽く運動したくもなる。 左右に数度伸びをしてから、そのまま綺麗に整っていたアッシュのベッドにダイブした。 白いシーツの下には、程よくスプリングが効き、ルークの身体を何度か揺らす。 勉強しすぎて頭が痛くなったルークはそのままベッドに沈んだ。 「邪魔だ。終わったならさっさと帰れ。」 毎回、付き合う方も多少の疲労は感じる。 休みたいのはこっちだと言わんばかりに、アッシュはルークを見下ろして言った。 「んー少し寝てから戻るから、おやすみ。」 いつの間にか白いクッションを両腕でしっかりと掴み、ルークは完全に寝る体制になった。 「ふざけんな。起きろ。」 ルークの、少しは全くアテにならない。 このままの状態で熟睡でもされたらウザい以外の何者でもなかったし、こちらがくつろぎたくてもくつろげないので、アッシュはルークが持ったクッションを剥ぎ取ろうとする。 微少に身体からはみ出ているクッションの角を右手で掴んで軽く引っ張るが、ルークが抱え込んでいるのでびくともしない。 仕方ないのでより力を込めて、アッシュはクッションを引き上げた。 くるんっと、ルークの身体がベッドの上で回転する。 同時に持ち上げたアッシュも、思わぬ抵抗の強さにバランスを崩して、そのままベッドに倒れこんだ。 「ぐえっ!」 胸の上に押しかかる衝撃にルークはいつもとは違う不快な、だみ声を濁し出す。 クッション越しではあったが、自分と同じ体重の男が上から落ちてきたのだから、そう耐えられることではなかった。 対するアッシュも視界が落ちたことで頭が直ぐに正常には回らずにいた。 「うげー、早くどいてくれよ。」 「言われなくても退く。」 また、こいつは…とアッシュが頭を抱え、とりあえず起き上がろうとしたときに、思わぬ事態が発生した。 「あ、ルク。アッシュに何か用か?」 長い髪が乱れて寝転んだままの体制ではあったが、のん気なルークの声が聞こえる。 その相手の姿は角度的にはアッシュの視界には入らなくて、その名前に反応して反射的に首だけそちらの方へ向いた。 するとそこには、半分だけ開いた扉の先にルクが居たのだった。 心なしか肩が震えており、手元に持っているのは先ほどルークが持ってきた課題セットと全く同じものだった。 アッシュともルークとも違う短く切った髪を持っていたが、いつもより小さく見えるのは間違いではないかもしれない。 「ごめん…取り込み中だったんだな。じゃあ。」 それだけ何とか言うと、ルクは顔を下に向けてから後ろを向き、扉を開けたまま大急ぎで走って行ってしまった。 「おいっ!」 それは呼び止めるアッシュの声が聞こえないぐらいの急ぎようでもあった。 ルクの言っていた取り込み中の意味が一瞬わからなくてアッシュは頭を巡らせたが、よく見ると今自分は事故とはいえベッドの上でルークを押し倒している形になっていることに気がつく。 「くそっ!追うぞ、てめーも来い。」 舌打ちを一つしてから、未だベッドでごろごろしているルークに声を投げる。 弁解するように自分が悪いとは思わないが、誤解を解くにはこいつも連れて行かなければいけない。 「何でだよ。俺には関係ねーじゃん。それに、大体ルクがどこに行ったかもわかんねーし。」 まだ眠気が完全には吹き飛んでいないルークは傍観を決め込むために、そう責任転嫁した。 「言っとくが、あいつが行く場所なんか決まってるだろうが。行かせていいのか?」 手段は選んでいられないので、脅すようにアッシュは言葉を吐いた。 そのルクが行く場所に直ぐに思いが立って、慌ててルークもベッドから飛び降りたのだった。 ルクがアッシュの部屋を尋ねたのは、アッシュの想像通り、課題を教えてもらうためだった。 いつもなら何とか一人でこなせるのだが、今回に限っては何時間考えても行き詰って、どうしても理解の出来ない問題が一つだけあった。 ルクは別に完璧主義者というわけではないので、分からないならそのままにして明日提出すれば良かったのかも知れないが、きっとアッシュなら解いているだろうと思ったのだ。 勝手に開けるつもりなんて全くなかったのだが、きちんと施錠がされていなかったアッシュの部屋の扉はルクが簡単に触れただけで開いてしまった。 それが淡い恋心を抱いていることで、課題を理由に会いに行きたいという、よこしまな気持ちがあったから、罰としてこんな場面を目撃してしまったのかもしれない。 アッシュとルークが仲がいいという事は周知の事実で、だからこそあれはただの間違いだって頭ではルクだってわかっていた。 でも、だからといって平然とあの場にいられるほど、今のルクは強くはなかった。 廊下を走っては行けないと分かってはいたが、逃げたくて走り続ける。 やがて、たまたま向こう側から歩いてきた赤を見つけた。 「アシュ!」 そのままなだれ込むようにルクはアシュに抱きつく。 二人共持っていた書簡などがバラバラと床へと落ちる。 それほど予期をしてなかった反動で、アシュの真っ直ぐで短い髪がわずかに揺れた。 普通なら驚くことだろうが、屋敷では結構日常茶飯事で起きていることだったので、アシュは別に何とも思っていなかった。 いつもどおり、半分泣いてなかなか理由も言えないルクの気が治まるまで、このままで居てやろうかと思ったが、今日は余計なオプションまでついていた。 アシュに抱きついているからルクには見えないだろうが、二人が廊下で立つ向こう側から、ルクを追って来たと思われる同じ赤が二つあった。 アッシュの方は、本人に自覚はないのだろうがイライラした目で「そいつから、離れろ」と睨んでいるし。 ルークの方は、とても不安そうに沈んだ表情をしながらこちらをじっと見つめている。 一人全てを知っているアシュは、こんないつもに僅かにこめかみに頭痛を感じたのだった。 「子供たちは今日も仲がいいですね。」 「そうだな。」 そんな四人の様子を、ファブレ公爵とシュザンヌは微笑ましく中庭で眺めていた。 アトガキ みんな幸せになって欲しいと思って書いたお話です。 2008/08/04 menu next |