ローレライ教団 それが、全てを失った二年前から与えられた、かりそめの場所だった。 「俺がバチカルに?」 懐かしいという感情が沸き発つこともない、音が聞こえてアッシュは思わず聞き返す。 「そうだ。バチカルのファブレ公爵邸に剣術指南へ行っている、ヴァン・グランツ主席総長に手紙を渡す――至極、簡単な任務だ。」 アッシュより相当年上の目の前の男は、第六師団長に籍を置くものだったが、さも当然と言わんばかりに上から物を押し付けるように言った。 「何で、俺が。」 通常の系列ならば、この疑問は出ることはないのだが、アッシュに限ってそれは適用されるものではなかった。 先天的に 決して、弱音を吐くという性格ではなかったが、それでも逃げたいと思い、それは叶われた。 ローレライ教団 利用されたということがわかったのは後のことではあったが、それでも その為の場所として与えられたのが第六師団であったが、アッシュの指導はヴァンが全ておこなっていた。 通常の教団兵が行うような下積みや雑用をおこなっていないアッシュは、周囲から…特に第六師団長に疎まれていた。 まあ、気持ちがわからないものでもない。 部下である筈なのに、思い通りにならないもどかしさというのは。 そういった態度を全面に押し出すと、感に触ったのかアッシュをからかって来た。 「お前も それとも、主席総長がいなければ、何も出来ない人形なのか?」 アッシュは12歳であり、世間的に言えば子供に値する存在である。 だが、ここまでの言い様をされて黙っているわけにはいかなかった。 「いいぜ、やってやるよ。」 たしかに今まで、単独で任務を受けたことはなかった。 だが、それは与えられなかったからである。 必要もないようなことを態々するような性格ではないし、任務という行為に別段に不安や恐怖など思い当たる節さえもなかった。 「―――本当に受けるのか?」 アッシュが肯定を押し出した瞬間、第六師団長はあせった。 大方、一人で任務などやったことのないアッシュが、出来ないと懇願するのを期待していたのだろう。 所詮、第六師団長はアッシュの存在など、ただの主席総長のお気に入りの子供という認識しかなかったのだから。 「何だ?俺が受けると問題でもあるのか?」 第六師団長の念押しをあっさりと跳ね除ける。 ヴァン不在の今、アッシュの名目上の管理者はこの第六師団長ではあったが、勝手に命令を与えていいという権限はまるでない。 このことがヴァンに知れたら、それなりの処罰があるだろう。 だからといって、人間にはプライドというものがある。 一度言った言葉を簡単に取り消すことは出来なかった。 「詳しいことは後で、文書で伝える。」 悔し紛れにそう言い、第六師団長は来たときと同じようにアッシュの部屋を無断で出て行った。 任務書は程なくして、届けられた。 特に危険を伴うような任務ではなかった為、アッシュは準備を済ませダアトを出立した。 バチカルへ向かうには、ダアト港から船で行く必要がある。 ダアト港への街道では時折、人なれした哀れな魔物に遭遇したが、ヴァン仕込みの剣技はもとより譜術にも長けるアッシュにとってはそれほど危険な道のりではなかった。 ダアト港からバチカル港行きの直行船へと乗り換える。 別に狙って乗船したわけではなかったが、連絡船キャッツベルト号というオールドラント全土を回る船の乗り心地は格段によかった。 国や軍や富豪たちが個人所有している船には劣るものの、一般的な客船としては高等な部類に入るキャッツベルト号は大勢の人が乗り、賑わっている。 最大の利点である甲板は広々としており子供たちが、かけっこを存分に楽しめるほどのスペースを有している。 そういった広さや吹き抜ける潮風の心地よさに身を任せる人が大半で、客室に残っているのはアッシュ一人となった。 アッシュはこの機会に、任務書を再確認する為、取り出した。 第六師団長は端的にしか物を言わなかったが、任務書にはきちんとそれ相応の内容が書かれていた。 詳しくは書かれていないが、所用で早くヴァンにローレライ教団へと戻って来て欲しいらしい。 しかし、ヴァンがファブレ公爵邸へ招かれているのは公式の事。 ファブレ公爵並びにキムラスカ・ランバルディア王国と良い関係を築きたいローレライ教団としては、通常の方法(伝書鳩など)で戻って来て貰うのは体裁が悪い。 なので、まどろっこしく使いに手紙を渡させて緊急性を説明し、誠意を見せたいというのが本音だろう。 本当に上層部の奴らは上辺ばかりを気にするとも思うが、世間の認識はそうなのだからしかたない。 ブオーーーン 「大変、お待たせ致しました。まもなく、バチカル港へ到着となります。」 高らかな汽笛とともに、アナウンスが流れる。 それが、二年前より一度も足を踏み入れたことのない、バチカルへの一歩だった。 さっさと船を下りようとすると、飽きたのか船酔いしたのか、大勢の子供たちに足取りをさえぎられた。 海の上というのはやはり不安もあるのであろう。 そんな様子を片目で見ながら、桟橋を歩いた。 港からも、インゴベルト六世のお膝元である光の王都バチカルがよく展望出来た。 元々は譜石帯から落下してきた巨大な譜石後に作られた場所であるからして、自然の要塞ともなるような印象を受ける。 人通りの激しい港の隅々には、多くの貨物が入っていると思われる樽や木箱が積み重なれていた。 その影でアッシュは身支度を整える。 二年前よりおろしていた前髪を後ろにやっているため、知らない人間にとってはそう気がつかれるものでもないとは思うが、その燃えるような赤髪と吸い込まれる様な深い翡翠の瞳は紛れもないキムラスカ・ランバルディア王家に名を連ねるものの証ではある。 念を入れる為に、フードをすっぽりとかぶった。 これで、ルーク・フォン・ファブレだとは気がつかれはしないだろう。 港から、バチカル唯一の音機関である天空客車へと乗る。 吹き抜けの客車内には、運良くアッシュ以外に乗っている人はおらず、軽く霧が立ち込める中を進んで行った。 手早くそこから降りて、街の広場へと足をやると、本当に色々な人が往来していた。 観光なのか生業なのかはわからないが、さすがの王都である。 集合商店への入り口や礼拝堂へは人が詰めかける。 しかし、そんな場所に用があるわけではない。 任務書によると、ヴァンはバチカルへと滞在している間は、宿屋にいるらしい。 整ったうねる階段を登り、アッシュは宿屋を目指す。 そこでヴァンに会い、手紙を渡して任務終了の筈だった。 「いない?」 「はい。ヴァン・グランツ様ですよね? 昨日まで、こちらに滞在なさっていらっしゃいましたが、今日はファブレ公爵邸の晩餐会に出席するとのことで、ご予約の取り消しを承っております。」 清々とした宿屋で、早速ヴァンに会おうと思ったのだが、受付の女性にそう言われてしまう。 その言葉に訂正はないらしく、きちんと端に置かれた受付簿を見ての言葉だった。 「ちっ…」 見事に引かれた蒼い絨毯を踏みしめながら、アッシュは宿屋を出た。 残念なことに、現在の時刻は昼を過ぎたばかりである。 任務は一応にして火急なものである。 今日、ヴァンが宿屋に戻ってこなければ、直接会う機会もない。 しかしだからと言って、ぐすぐずとしていて任務が遅れたら、あの第六師団長としてはアッシュの不甲斐なさを今後共に嫌味と一緒に語ってくれるだろう。 そんな最悪の事態だけは避けたかった。 「……仕方ねえ。」 相当に嫌であったが、アッシュは覚悟を決めた。 ファブレ公爵邸に行くということを。 しかし、それは正面を切ってということではない。 幼少の頃、たまに抜け出していた抜け道を使うつもりだった。 自室の部屋の真後ろに当たる外壁には、一部損傷している場所があった。 そのスペースは丁度、子供一人分がギリギリ通ることの出来る程度ではあったが、そこからたまに城下町へと行っていたのだった。 別に外出が厳禁だったというわけではないが、それでも勝手に屋敷を抜け出していたということがバレればその抜け道は塞がれてしまうだろう。 だから、親にはもちろんのこと、ガイやヴァンにも抜け道の存在は言っていなかった。 巧妙に隠していた為、まだ、残っているという核心はあった。 昇降機へと乗ると、城下町が遠く見えた。 上へ行くほど警備は厳重となっている。 フードを被っている為、兵に不振がられるかもしれないとアッシュは少し危惧したが、それは杞憂だった。 平均的子供の背丈であるアッシュに不振の目が行くようなことは全くない。 昇降機を乗り継いで、最上を目指すとバチカル城が眼前へと広がる。 上空にあるせいか、風が強く感じられ、城の前に掲げられた国旗は軽やかになびいていた。 アッシュはファブレ公爵邸への抜け道を目指した。 その時、なぜか背中を押すように追い風が流れた。 運命の烈風がアッシュを包み込んだが、この時はまだ気がつくことはなかった。 片翼なんて、生半可なものではない。 全身全霊の存在がそこにいた。 アトガキ 地の文が多い。ルークが出てない。初のジ アビス小説でした。 2006/01/13 menu next |