晴れ 曇り 雨 … 選べるならば、どれが好きだろうと考えるときは、いつも雨。 そんなことをぼんやりと抱きながら、ルークは無色透明の厚いガラスがはめられた窓の外を眺めていた。 降りしきる雨の絶え間ない音は聞き漏らすこともできないほど響いている。 静かすぎる空間の中、また一つ溜息をつく。 今、ルークの座っている椅子はいつもの椅子ではない。 天井も高く部屋も無駄に広いのは、ここがファブレ公爵家の所有する別荘だからであった。 正式名称はコーラル城といい、かつて自分も本来の用途ではなく何度か訪れたことのある場所である。 以前訪れた時は自分の存在がレプリカだとも知らない時だったが、すべてが終わり平和になってからまた足を踏み入れるとはあまり思っていなかった。 そして今回はやっと避暑として訪れたというのに、ルークの機嫌は些か斜めであった。 コン コン コン その最もな理由であるノックが今、ルークの部屋を叩いた。 またかと思って、いつもする軽快な返事をうっすらとためらった。 きちんと扉のほうを向いて「はい」と応える前に、扉は勝手に開いた。 「入るぞ。」 切り詰めてそう言って入ってきたのはアッシュだった。 「なんだ、アッシュか。良かった。」 返事を返さずにさっさと誰かが入ってきたことにびくっとしたルークの緊張は一気にほどける。 「“なんだ”とは酷い言われようだな。まあ、俺も同じ状態だったんだが。」 やれやれと苦笑しながら、アッシュはルークのいる窓辺に近づいた。 二人は相向かいの部屋で、ルークの部屋は海側に接しアッシュの部屋は大陸側に接していたので見える景色が少し違うはずだったが、生憎の雨で今両方の窓からも景色を望むことは出来なかった。 「だよな。悪気はないとはわかってるけど、あんまり二人で部屋にいるわけにもいかないしな。一人じゃ退屈だよ、俺は。」 不満を表に出すのは最近のルークでは珍しくあった。 昔ならいざ知らず、戦いを終えてアッシュとともに両親の元に戻ってきてからは、過去を反省して横柄にならないようにと努めてきたから。 口に出してしまうのは、聞いてくれる相手がアッシュだからである。 バチカルの屋敷にいるのであれば、いろいろと時間をつぶしたりすることも多岐にわたるが、このコーラル城では勝手がわからないためあまり自由には出来ないし、外は雨で気晴らしに出かけたりすることもできないので、今のルークは暇の一言に尽きる。 避暑という名目で来ているのだから、本来は身体を休めたり、ゆっくりとするところなのだろうが、どうもそれは性には合わなかったのだ。 「なら、手早く二人で楽しいことでもするか?」 くっくっと、きれいな顔で意地悪く笑いながらアッシュは言った。 「あ…」 椅子にのんびりと座っていたルークの上から、いつの間にか近づいてくるアッシュの顔。 その距離の近さを感じてルークは、顔を赤らめる。 あと数センチ………と迫ったところで、二人を遮る音がする。 コン コン コン 今度は先ほどの違うノックだということは明らかで、二人はあわてて身を離した。 かちゃりっ 「失礼いたします。まあ、アッシュ様もこちらにいらっしゃったのですね。」 入室してきたのは最近ファブレ侯爵邸に仕えることになった新人のメイドで、二人が一緒にいたことを少し驚くように大きく漏らした。 そのメイドの登場に、アッシュもルークも表情には出さないが、もうそんな時間かと再び頭を痛めた。 彼ら自身が悪いというわけではない。 しかし、今回に限っては少々二人も参っていた。 元々、避暑にやってきたのは母であるシュザンヌの提案からであった。 せっかく家族全員がそろったというのに、全然家族らしいことをしていない、と。 確かに四人ともバチカルで生活を共にしていたが、公務に追われる忙しい毎日で、確かにゆっくりなどすることはなかった。 妻にそう言われた一家の主であるファブレ侯爵が、それならばコーラル城で避暑をと言い出すのは、二人も受け入れることが出来ることだった。 その歯車が狂いだした一歩が、皆そろってコーラル城に出発しようとした当日に起きた。 外交関係で突然城へと呼び出しを受けたファブレ侯爵がそのままなかなか帰ってこず、従者に事情を聞かせにいったところ、直ぐには出発できないとのことだった。 ファブレ侯爵が出かけられないなら避暑に行くのも意味はない。 どうしようかと戸惑っていたところシュザンヌから「二人は先に城に向かって下さい。私たちは後から向かいますから」と声がかかる。 今日という日をとても楽しみにしていた母からそう言われては、アッシュもルークも「はい」と言うしかない。 こうして二人と使用人一行はコーラル城に向かったのだが、もう二日もここで足止めをくらっているのが現状だ。 ファブレ公爵とシュザンヌがいない分、仕事熱心なメイドたちは暇をもてあましているようで、こちらに世話焼きが回っている。 そもそも人一人に対してこんなに使用人が多いのは病弱なシュザンヌのことを思ってのことで、アッシュとルークには極端にいえば最低限の使用人がいれば事足りた。 気を遣いすぎる厚意はありがたいだが過度は負担で、一時間おきに使用人が部屋を訪れ、様子を見にきたり、お茶をもってきたり、掃除をしたりと、やたら節介をやいてくれる。 昔はウザいとか言えたが、今はそこまで言えるほど性格が悪くなっていない。 半分呆れながらも、二人は黙って両親の到着を待つしかなかったのだ。 「なんだ?」 もう何度言ったかわからない返事をルークの代わりにアッシュは言った。 先に声が出たのは正直アッシュの方も相当現状に不満を抱いたからでもあった。 「はい。先ほど伝書鳩が到着しまして、旦那様と奥様が明日の昼頃こちらに到着するとのことです。」 心なしかメイドの声も嬉しそうに聞こえる。 暇だったのはアッシュとルークだけではなかったので、当然かもしれなかったが。 「わかった。わざわざ、ありがとう。」 「では、私はこれで失礼します。」 パタンッ ルークの返事を受けて、メイドは下がっていった。 「明日の昼か…」 思わずルークが呟く。 明日の昼頃ということはあと丸一日もある。 いや、一日でこの暇から解放されると思えば、短いのかもしれない。 「俺は書斎にいるが、おまえはどうする?」 このままこの部屋で二人にいても、また使用人がちょくちょく顔を見せてどうせ気は休まらない。 だったら書斎で本でも読んでいた方が有意義だと判断したアッシュは、そう聞いてきた。 「うーん。俺はいいや。」 残念ながら読書という趣味はあまりルークにはない。 いくら暇とはいえ苦手なことに挑戦するような気にもなれなかった。 「そうか。じゃあ、昼食には遅れるなよ。」 「うん。」 ルークが軽くバイバイと手をふるのを見て、アッシュは部屋を後にした。 十八年前の開戦により放棄されたコーラル城は、立地的には南ルグニカ平野の半島の先にある。 広大な城の通路をルークは当てもなく歩いていた。 部屋に閉じこもっていても息がつまるだけだし、せめてもの気分転換に城内を見て回ることにしたのだった。 行きかう使用人たちは口々に「ご案内します」と言ってくれるのだが、ありがたくも丁重に断りながら、通路全てに敷かれた赤地の絨毯の上を練り歩く。 さすがに王城にはおとるが立派な城であるから、やはり別荘として使うには少々広すぎる気がする。 手入れがなされるとこんなにも違うもので、苔の生えていた壁や崩れ落ちて半分だけ残っていた石門は見事に修復された。 今は雨に濡れてしまってへたれているが、伸びっぱなしだった草木も花壇としてきちんとなっている。 以前、幽霊屋敷としていたのが懐かしいくらいで、もちろん魔物も影をひそめている。 本来なら展望台のような屋上にあがれば随分と見通しがよいものだが、今日みたいな悪天候ではそれも叶わないので、行動範囲はかなり限られた。 意外と、いや想像はしていたが、あまり面白くはない。 エントランスに掲げられたフルレッドクリスタルで精巧に作られたシャンデリアや上等な硬玉ガラス工芸や機能性と美術的な美しさのある骨董品など、城内には様々な物が飾られているのだが、あまりそういうものに細かい興味を示さないルークにとっては、綺麗だなの一言で終わってしまうのだ。 「そっか。アッシュはここにはいないのか…」 知らぬ間にアッシュの姿を追いかけて、エントランス奥の小さな暖炉のある書斎まで来てしまった。 この部屋には本棚がいくつか並べられているだけの場所で、アッシュの言っていた書斎は二階の奥の広い部屋にあるのだ。 用途が中途半端なため、誰も部屋にはいない。 それなのにルークの鼻孔に潮の香が一瞬した。 「ん?」 本当に微かだが、海の匂いがしたのだ。 どうしてだろう…と頭を思いめぐらすと、直ぐにあることに行きつく。 そうだ。この部屋には隠し扉があったのだ。 以前は幽霊がここの鍵を隠し持っていたが、今は……… ルークは壁の縫い目に隠された扉の継ぎ目に手をやり、思いっきり押してみる。 ガコンッと何かが内部で動作する音がしたあと、ゆっくりと扉が開いた。 どこに繋がっていたっけ?と思い出しながら、ルークはその中に入って行った。 地下へと通ずる石造りの階段をゆっくりと降りていくとだんだんと空間が広がってくる。 本来の用途はよくわからないが、これだけの大きさを誇るのならば、もしかしたら貯蔵庫あたりになっていたのかもしれない。 だから逆に理由されてしまったというのもあるのだろう。 最下層まで下ると一気に開けた場所になる。 ここだけ異質すぎて、城壁が剥ぎ取られたようなむき出しの岩の壁が見える。 そしてその中心には、明らかにとってつけたかのような巨大な装置があった。 「そうか、ここは…」 装置の近くまでルークが寄ると、海面にも接しているようでわずかな波揺れを感じた。 触れてももう何の反応も示さないのは、長らく使っていないからであろう。 ジェイドあたりなら詳しく解説でもしてくれそうだが、生憎ルークにはこの装置がどのような仕組みになっているのか全くわからない。 そう、自分は二回ここに横たわった。 一度目は自身が生まれたとき。本当のルークのレプリカとして。 二度目はファンスロットが開かれたとき。利用される者として。 「はぁ…」 正直、アクゼリュス崩壊以前の自分の記憶は、かなり考えるだけでも痛い。 何も知らないことは罪だと知らなかったあの頃は、なんとなくとしか生きていなかったのだから。 なんだか考え事をしていろいろと疲れた。 大体、昇降機があるわけでもなく階段が多い広い城をかなり歩いたのだ。 ルークは装置に肩を預けたまま、ずるずるとそのまま地面に座り込むと、瞬く間に瞳を閉じた。 最初の奈落へと続いた、その禁じられた場所で。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ まず訪れたのは、緩い振動からで。 規則正しくではなく、がくがくと身体を揺さぶられているのだと気がついたのは、彼の声が届いてからだった。 「…ーク………ルーク!」 必死に自分を起こそうとしている相手がアッシュだと気が付くと、急いで覚醒が促される。 「あ…れ、アッシュだよな。どうしたんだ?」 やや寝足りなかったルークは目を擦りながら、そう言った。 強制的に起こされるなんて珍しいことだから、まだ頭は完全には起きてはいない。 「どうした?じゃない。お前、こんなところで何をやっていたんだ!」 ルークの目が覚めたことに一瞬だけ安心したアッシュだったが、直ぐにそう言ってきた。 その声には怒気が混じっており、随分と厳しい口調にも思える。 「何って、俺は何も………」 別に何もしていない。ただ、ここでうっかり眠っていただけだ。 それなのに、アッシュの言い方は恐いくらいで、びくっとルークは恐縮した。 「もう、いい。戻るぞ!」 強くそう言われて、またルークの肩が縮む。 あれ、この光景は… どこか昔に味わった同じような苦い感覚を思い出して、頭の中が勝手に真っ白になった。 嫌だ。何も考えたくない。見たくない。聞きたくない。 「…俺、先に部屋に戻るから。」 そう言うのがやっとで、ルークはアッシュの横をすり抜けていきながら、急いで階段を駆け上がる。 思わぬ出来事にアッシュは、一歩反応が遅れてしまったのだった。 アトガキ 続きは、いつもよりエロ度高いので気を付けてください。 2008/08/14 menu next |