FX      ル フ ラ ン     
  パンドラの氷棺  2










「おはようございます、ルーク。」

そうやってジェイドが口にするのは何度目となるであろうか。
同時に、生きているという幻を隣に置いているのかもしれないと、思い悩んだ回数でもある。
何度繰り返しても変わらないのはルークだけで、ジェイドの時間だけが着実に進行していった。
それが終わる最後の日となる筈だった。















ジェイドの禁術がもたらした氷の結界によってコールドスリープ状態になったルークは、程なくして随一の医療設備が整っているマルクト軍病院へ秘密裏に搬送された。
それに伴いジェイド自身も同じくマルクトへ渡る。
全ては一つの目的のため、ジェイドは身を粉にもせず与えられる軍務を真っ当する傍ら、一つの研究に没頭して行った。
マルクト・キムラスカ間の戦争状態の解けた今では、要領の良いジェイドが他に研究をする時間など簡単にとれたのだった。
それでも、ジェイドが望む段階に到るまで随分と歳月がかかってしまった。
焦らずに慎重に進めてきた事だが、ようやく目処がついた。

カツンッ
無機質な白い空間に自分の足音がこれほどよく聞こえたことはないと、医師は思った。
白い光が照らされる手術台に横たわる要人である患者のパーソナルデータは何もない。
10代半ばと思しき男という、外見から判断できる要因しかないのだ。
無骨な医師が所属するこの病院の表向きは、マルクトの軍付属病院である。
理事長と院長から直接この手術を頼まれたときに身の毛もよだつ思いだったが、まさか断るわけにもいかない。
極秘裏に設置された集中治療室にいる患者の存在を知らなかったわけではないが、自分としては彼はただの植物人間だと思っていたくらいだった。
数多くの計器と配線に囲まれた彼は、不定期な機械音と共にそこに居るだけのそのまま生をかろうじてつなげられているだけだったから、まさか手術の文字が飛び出すなんて思ってはいなかったので、一瞬自分の十八番を恨んだ。
大体、もうこの年齢になれば若いころ持っていた情熱なんてない。
脳外科医の権威と言われれば確かに自分のことを指すのだろうが、そんなものはここで捨て去りたかった。
手術の依頼主は、マルクト軍のジェイド・カーティス大佐。
未だ大佐の地位にいるが、本人が軽く望めば軽く上の地位に行くことが出来るほど有名な、皇帝の懐刀だ。
自分だって散々他者を蹴落として来たというのに彼は、地位とも違う、何かとてもつなく次元が違うのだ。
背中に銃を突き付けられながら手術をするわけでもないのに、かつてないほどのプレッシャーを背中に感じる。
怖いのだ。何度対面しても底冷えするが、断わりの言葉さえ言いだせない。
確実に生存が望めるまでとの制約の中で、氷を溶かして事前の措置をカーティス大佐が行った後から始まったので、そこからまず普通の手術とは違う。
ただの氷ではないらしいが、自分には専門外だから詳しくはわからない。
だが、カーティス大佐の手によって新たに加えられた譜術により、氷をとおされた患者から僅かにだけ進行した乖離現象が収まったのだけははっきりと目にした。
そう…生きているのに変わりはない。
「後は、お任せします。」
処置が終わると空気も凍り付きそうな空間で、カーティス大佐は少し疲れた様子を見せ、僅かにずれた眼鏡をなおしてそう言った。








それは長時間にも及びなんとか成功に到ったが、忙しいと聞いているカーティス大佐がずっと手術室の廊下で待っていたとなると、冷や汗が出るのは仕方なかった。

「…大変、お待たせしました。手術は無事に成功しました。もうじき麻酔が切れて、意識を取り戻すでしょう。」
そう言った医師がとても恐縮したのは、手術室の外で待ちかねていたのがやはりカーティス大佐だからであった。
実は軍付属病院の間接的運営をしている寄付の殆どを目の前の相手によってされていると聞かされれば、まだ若い面影も残るような年下相手だろうが、低姿勢となるしかない。
生涯これほど緊迫したことはなかったが、やっと肩の荷が下りた。
今夜飲む酒はきっと不味い。















手術の終わったルークは、長い間居続けた集中治療室をようやく抜け、特別室へと部屋を移動された。
予断が出来ないほどの容態からは解放されたからの行先だった。

ジェイドは、一人病室へと入り、そっとベッドに横たわるルークへ近づく。
そして対面した彼は、無機質な白い部屋の集中治療室のベッドの上に横たわっていたのだ。
そして久しぶりに血が通った右手を取り上げて両手で握りしめて、その生を実感する。
目下に光る赤い髪は依然と変わらず輝いている。
これを肉眼で再び目にすることをどれだけ望んだかわからない。
長かった。
でも、彼が今ここにいるのだから、そんな時間はどこかに行ってしまうような気さえした。
「早く…早く、起きて下さい。」
自虐するようにジェイドは何度もその言葉を繰り返す。
夢から現実へとなるように切なく願うのだ。
また昔のように自分を呼んで欲しい。
「ん…」
呼応するかのように僅かにぴくりと動くルークの瞼と眉間をひそめる姿が懐かしい。
わずかにシーツの中の身体が震えて、そのまま髪も揺らす。



目覚める―――
久しぶりに見た瞳の色は、色あせた絵や写真とは違う綺麗な翡翠だった。
ああ…

「………ルーク?」
ベッドに沈んだままのルークにジェイドはそっと話しかけた。
それに反応して、ルークは焦点の定まっていない瞳をジェイドの方に向けた。









ただ、それきりだった。
それ以外、何もしない。いや、出来なかったのだ。
未知の世界に飛び込んだ子供のように、ルークの顔には不安の色が浮かんだ。
しゃべることも満足に動くことも出来ない。
彼には生きることしかできないのだった。






「ルーク。私のことがわからないのですか?」
長きの歳月を経れば、ジェイドの容姿が多少変わりゆくのは当然であった。
以前より年齢にふさわしい風格を持つようになっていた。
しかし、ジェイドの根本は何一つ変わらない。
それを突然だからと言ってわからないルークではなかろう。
考えられる要因としたら、一つ。
「何もわからないのですね………」
寂しい目の色を見せて、ジェイドは呟いた。
ルークは既に、その呼びかけに反応できるような状態ではなかった。
ジェイドのことだけではない。
全てがわからないのだと無理を悟った。
それで終わりだった。
















コン コン コン

「どうぞ。」
「失礼します。」
第一執刀医かつ主治医となった医師は、この部屋の扉を叩くという行為でさえ、酷くためらった。
しかし、ぼやぼやしているわけにはいかず、ようやく重い腰を上げる。
患者の意識が目覚めたとすれば、もう容体は想像できる範囲であろう。
室内から入室を促される声が直ぐに聞こえたので、一瞬だけほっとした。
目覚める瞬間といえば普通、医師の立会の元なのだが、それを暗に拒否されたのだから、しばらく入室は困難と思っていた部分もあったからだ。
「…遅くなりましたが、患者の脳波の検査結果が出ました。恐らく極度の記憶障害を起こしていると思われます。」
冷静に言いながら医師は、最悪の結果だと内心でつぶやいた。
これから詳しく検査してみなければ確証はないが、それでも大体の見当はつく。
コールドスリープしていた人間の命を助けることは出来たが、以前に脳はとっくに壊れていたのだった。
患者の記憶障害は第一級。
蓄積した記憶は彼方へと消えさり、生まれたばかりの赤ん坊になり下がってしまったのだった。
「わかりました。下がっていいですよ。」
全てをわかっていたかのようにジェイドはそう口にする。
その低い言葉を受けて、うやうやしく医師はその場を去った。
退室することを幸せと思うくらい、部屋には寒々しい雰囲気しか流れていなかったから。






ジェイドは何もわからないルークの両手を取る。
そして声の調子だけは明るく見せかけて、本当はどこまでも暗い言葉を伝える。

「私の名前はジェイドです。まずはそれから覚えて下さい…」





生きていさえすればいい。
記憶がなくとも、彼は彼なのだから…











こんにちは、ルーク人形















アトガキ
エイプリルフール企画でのジェイルクでした。
一応続きがあるのですが、時間の関係で書く暇がなかったので、後で普通に更新したいと思います。すみません…
2009/04/01

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