カウンター      ル フ ラ ン     
  パンドラの氷棺  1










最愛の人がいない未来に用はない。
過去に居続ける男が、ただ一人ここに居た。






「…みんなは急いで脱出してくれ。俺はここでローレライを解き放つ。」
ようやくこの地でヴァンを制したルークは、エルドラントの崩壊を目のあたりにしてそう言った。
崩壊原因自体が、レプリカの大地であったことで、ここもそう時間が掛からずに崩されるであろう。
最後まで誰も一緒に付き合わせる気はルークにはなかった。
「ルーク!」
「ローレライとの約束だ。これは俺がやるべきことだから」
痛烈に叫ぶティアに対してルークはしっかりとそう返答した。
何度も何度も皆に止められたが、それでも決めたことなのだ。
この身も長く持たない今、時間は限りなくないに等しかった。

「ジェイド…」
全てを悟ったように、ジェイドが一歩ルークの前に踏み出してくる。
一番名残惜しいのは彼だろうに、それでも最初にここに赴いてくれたのは、既に心の準備が出来たからであろうか。
「ルーク。あなたは本当に変わりましたね。」
名残惜しい握手を交わしてから、ふっと一瞬だけ目を伏せると、初めてルークに会った日から今日までが走馬灯のように思い出された。
まだルークは死んでいない。
それでもこれから先のことを思い浮かべると、否定的な意見しかでないのだ。
ルークは自分が安易に生み出してしまったフォミクリー技術から精製された。
創造主になったつもりはないが、ずっと見守ってきて、時には突き放したりもした。
でもルークは今まで何をやっても生きていたのだ。
それも、終わる―――
変わると言って、変わって…それきりだったのだ。
「俺、ひどかったもんな。」
ルークも昔を思い出したようで、苦笑しながらそう言った。
特にジェイドとの第一印象は悪いに違いないだろう。
彼に対してはわがままをいうのとは少し傾向が違う、無茶を言い続けてきたような気がする。
それは断髪をした後でさえそうで、レムの塔で命を投げ売る時は特にそうだったかもしれない。
自分の立場的にも、オブラートで包んだような遠まわしな表現をされることが多かったが、ジェイドだけはいつも違った。
良く言えばはっきりと、悪く言えば毒々しいような言葉をいつもくれた。
最初は反発して、むかついて、最悪だったけど、全て自分を思っていたからこそ、色々と言ってくれたのだ。
「…ですが、どれだけ変わろうと悔いようと、あなたのしてきたことの全てが許されはしない。
だからこそ生きて帰ってください。いえ…そう望みます」
大爆発現象の全てを知っていても尚、ジェイドはそう言った。
「ジェイド…無茶いうなよ…」
ルークもこれからの自分をよくわかっていた。
残れた相手に希望を残すようなことを言うことは出来なかったのだ。
もちろん、死にたくなんてない。
生きて、生きて…出来ることなら彼と………
もし彼と過ごすことの叶う未来があるとしたら…
こんな時に叶わないことばかり思い浮かべるんだ。
未来のこと何か考えても無駄だというのに、最後にジェイドが優しいことを言うから、考えてしまった。
「すみません。」
名残惜しく、ジェイドは最後に謝った。
今まで表面上で人に謝ったことは何度もあったが、本心で申し訳ないと思ったのは初めてだった。

ルークは死ぬ…
自らの手で生み出して、そして死ぬことも望んでしまう結果となるのだ。









ジェイドがルークの前から下がると、続いてガイ・アニス・ナタリア・ミュウ・ティアと次々と別れの挨拶がすんでいく。
ちょうどティアとの話が終わったとき、エルドラントの崩壊は最終局面を迎えていた。
限界が目の分かる形で降りてきたのだ。
皆の背中を見送って、次々と見送る仲間の姿が消えた後、ルークはローレライの鍵を地面に突き刺した。
抜けるようにゆっくりと沈んでいく鍵は開かれ、ローレライが解放される。
そしてルーク自身の身も少しずつ足場が崩れたことによって落下が促された。
いよいよ自分の身体も朽ち果てると、ルークは確信した。

出来れば最後に彼の姿を焼き付けたかった…
そう思って瞼の裏を閉じる前に、ルークの視界には驚くべき人物が見えた。











「ジェイド…何で逃げないんだよ!ここは危ない、みんなと一緒に。」
巻き込みたくなんてないのに。
手を伸ばしても到底届かない場所ではあったが、下方の瓦礫が積み重なった上に見間違える筈もないジェイドが一人で立っていたのだ。
まるでルークが下りてくるのがわかっていたかのように。
「あなたを、貰い受けに来ました。」
何とか言った声は届いたようで、ジェイドもそう言い返した。
この時を待っていたからこそ、暗く深く伝えることが出来たのだ。
「何を…今更言ってるんだ。わかっているだろう。俺はもう…手遅れだって……」
声は届いているだろうか…もう手が透けるどころではなく、体中の感覚がないんだ。
レムの塔で体内の第七音素を浪費して、生きているのがやっとな状態で追いうちのようにしたローレライの解放では、もはや生きるすべはなかった。
天へと登り詰めて、このまま消えるしかないんだ。
きっとレムの塔のレプリカやイオンで見た時と同じような結末を迎えるだろう。
「そうです、手遅れです。でも、それでも…私はあなたを死なせたくないと言ったらどうしますか?」
何か、ひとつ壊れたような音質でゆっくりとジェイドは尋ねた。
手を差し出して問いかけるような仕草をしたのに、眼鏡の向こうに見せる表情は明るくはない。
「………そんなこと、無理だ。でも…ジェイドが何かしたいなら、好きにしていいよ。」
ぐっと目をつぶると止めどもなくルークの頬を伝う涙がある。
自分が壊れていくのがわかるから、自分のことは自分が一番よくわかった。
ジェイドがどんなに何でもできても天才でも、どうにもならないことぐらいあるってわかる。
だからきっと、最後に優しい言葉を言ってくれたんだなとルークはわかった。
最後の最後まで希望をくれて、ありがとう。
最期を見取ってくれるのがジェイドで良かった。

「…俺は、………ジェイド…のことが………………だった、…から…………」
もう唇も満足に動きはしなかったが、それでも最後にそう言うことが出来た。
それだけでルークは幸せだったのだ。





ルークの瞳がゆっくりと閉じたとき、足元に現れる巨大譜陣。
それは密かにジェイドが口にしていた禁術によってもたらされたものであった。
次々とルークの周辺の空気が凍りついて行く寒さをもたらす。
うっすらと浮かび上がる複雑な術式は幾重にも蒼白い冷気の輝きが照りつける。

今日という死へ至る瞬間まで、彼を失うことがこんなに嫌だなんて思わなかった。
彼には生きていて欲しいと、それだけを望んだ。
今居なくなってしまったら、壊れるのはジェイドの方だ。
失ってはいけない存在なのだから、切り捨てる道を選べる筈がなかった。
だからジェイドは、年甲斐もなく運命にあらがいたくなったのだ。
たとえ、死神みたいなことをしてでも。
理論での考えは捨てて、ただ願った。成功を。


















禁術を紡ぐ、ジェイドの声がしんと響き渡った。
瞬く間に凍て付く負のエネルギーをルークに向けて放ったのだった。
ピキッと全身を包み込むと静寂へと誘いをかけて、冷たい氷の中へと優しく閉じ込めた。
ルークは眠るように、身体活動が停止し冷凍仮死状態になり、一つの氷の結晶が出来上がったのだった。
透明度の高い…まるで、手をのばせば届きそうな遠い空間。

これは私の我が儘で、本当に彼がこれを望んでくれるのかはわからなかった。
氷解を許すことになるのが、10年先か20年先かはわからない。
叶うのは近い未来ではないかもしれない。
医療技術が発達して脳死状態でも、本当のルークを取り戻せることになるその日まで、彼は眠り続けるであろう。





私が死んでしまったら、この氷は溶けてしまうから、どこまでも一緒なのだ。
だから決して…

ジェイドは、ずっとルークの側に居た。
ルークは、ずっとジェイドの側に居た。



















◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇















「どうしたんですか、ガイ。空なんか、見上げて。」
「いや。ただ、ルークの奴は元気にしているかな、と思ってな。」

エルドラント崩壊後、ジェイドとガイはグランコクマに戻ってきた。
ルークが戻ってこないまま、月日は流れて、それでも本来の通りに過ごす日々だ。
解放したローレライの光は音譜帯へと加わった。
それに携わったルークの消息は未だに知れないので、ガイは音譜帯のあたりをずっと見続けていたのだ。
だから、いつのまにやら近くにいたジェイドに話しかけられたのは、少し驚きもしたのだ。
ジェイドこそ、まるでルークのことなんか自主的には口にせず、空を見上げることさえしないのだから。





「ああ、ルークですか。そうですね、元気にしていると思いますよ。」
ジェイドは、ただそれしか答えられない。
その顔はきちんと曖昧に笑えただろうか…

ルーク・フォン・ファブレは、生きているのだから。















アトガキ
2009/04/01

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