死にたくない 俺は、死にたくないんだ そう…ルークが強烈に切実にここまで思ったことは、今までなかった。 初めて人を殺してしまったときは、震えてどうしようもなかった。 今まで冗談で死ぬとか殺すとか安易に出していた悪態が消え失せて、自分はそれでわかったつもりでいた。 でも、それは表面上にしか過ぎなかったということが、この身に迫りようやく分かる。 一万人のレプリカの命と共に自分の命を差し出せば、オールドラントを覆う障気を消すことが出来る。 そして、内たる心を秘めた彼を自分の身代わりにしなくていい。 それがわかっているからこそ、今こうやってローレライの剣を天へと掲げているはずなのに、淡い心は反面を映す。 声を出すことは出来ないから最期に与えられた心の中だけで、精一杯叫ぶ。 嫌なことを考えてしまうなら、それを曝け出して嫌悪する前に早く消えてしまえばいいと思うのに、なかなか地表を覆う障気が消える痕跡が見えなかった。 雲に覆われたような空に変化はない。 「だ、駄目か…」 やはり自分では、力不足なのだろうか。 被験者の身代わりになることさえも出来ない劣化レプリカで、最後まで役立たずなのだろうか。 それでも精気を吸い取られるように段々と力が抜けていく。 同時に気も遠のいていき、何もかもが虚ろになる。 遠くで、ジェイドとアッシュが何か叫んでいるような声がするが、マトモには聞こえない。 第三者視点のように、ぼんやりとしてしまう。 その刹那 「どこまでも手のかかるレプリカだっ!」 そういつもの口調で怒鳴られ、腕をガシッと掴まれる。 「アッシュ!?」 驚いて視線を向けると、しょうがない奴だと言わんばかりのアッシュが隣に居た。 剣を交えたとき以外にこれほど接近したことはなかったから、この状態にたじろぐ。 「…心配するな。心中する気はない。おまえの超振動に少し力を貸してやるだけだ。 おまえは一人で消えろ!」 そう言いつつ、飽和していた力が集中して行く。 アッシュの協力によって完璧ではない超振動が、段々と安定の輪に乗るのがわかった。 「…ありがとう…アッシュ…」 安心して、最後にそういうことができたのが嬉しかった。 彼の隣でこうやって死ぬことが出来るなら、もう思い残すことなんてない。 たとえ、この思いを伝える機会がなかろうが。 ゆっくりと瞳を閉じて、幸福のままに死の瞬間を待った。 ふわりふわりと漂う感覚が、舞い降りる。 意識があった。 どこに? この世界に それがわかったとき、まずルークが心配したのは自分自身の身の安全ではない。 もう一人の、彼の存在。 明確に動かない肉体を無理やり命令して動かすと、利き腕の感覚がまずピクリッと働く。 その先の終点に、一人ではない確かに繋がれたその手があった。 彼も大丈夫だと確信したときに、初めて訪れる現状の安堵。 俺は、生きている。 いや、生きてしまった。というのが正しい表現なのだろうか。 まだ身体の感覚もあるのが嬉しかった。 伝わらないぬくもりだけど、繋がれた手がいつまでも。 ぼうっとした意識を伴っていると、周りが慌しく動き出すのが見えたように思えた。 歓喜の渦だ。 それに反応してアッシュも起きたようで立ち上がって、無造作にその手を振り払われた。 まるでそれは元からなかったかのように。 すぐにルークに背を向けて、アッシュはこの状況の説明と思慮に徹する。 多くのレプリカたちの命を食らって、障気を中和することが出来た。 そして、捜し求めたローレライの宝珠をやっと見つけることが出来た。 そのことだけが漠然な事実として目の前に落ちたことを、確認する。 「お待ちになって!どこへ行きますの!?鍵はそろったのですわ。一緒に…」 瞬く間にどこかに去ろうとするアッシュを制止すべく、ナタリアが悲痛な声を放った。 探しに探していたローレライの剣と宝珠は、今揃ったのである。 これからは共に。と考えるのが、条理であったし望むことでもあった。 「…一緒にいたら六神将に狙われる。 ヴァンの居所を突き止めてローレライを解放する直前まで別行動を取る。」 随分と歩き出していたアッシュであったが、ナタリアの言葉を受けて少しだけ立ち止まり、結論だけを言った。 アッシュの言うことは至極最もであり、誰もそれを咎めようとするものは居ない筈だった。 「お待ちなさい。」 そんな中、ジェイドだけが更なる制止の言葉をかけて颯爽とアッシュに近寄った。 「なんだ…」 いぶかしんで振り返るアッシュは、偉く不機嫌そうである。 「これからルークにはベルケンドにて検査を受けてもらいます。あなたも共に受けてください。」 「…必要ない。」 予想外のことに一瞬だけ詰まり、それでも早々にアッシュは答えを返した。 「本当にそうだと思っていますか?」 「何のことだ。」 思わせぶりな口ぶりが気に入らないので、こちらもはぐらかす。 相変わらずな頑ななアッシュの様子にやれやれ…といった表情を打ち出した。 仕方なくやや嫌がるアッシュに近寄り、ジェイドは小さくアッシュに耳打ちをした。 そのジェイドの声はあまりに小さくて、離れていたルークたちには何を言っているか聞き取れないほどであった。 その言葉に目を見開いて表情を少し歪めたアッシュは 「………わかった。」 と、表情にしぶしぶというのを前面に出しつつ、了承の意を示した。 「うっわーめっずらしー。大佐、どんな口車に乗せたんですか?」 と叫ぶアニスを伴い、アッシュはしばしの時を共に行動する。 ジェイドが周りに、その言葉の意味を語ることはなかった。 アルビオールに乗っての音機関都市ベルケンド行きは、それほど長い時間を要しはしなかった。 その間のルークは、自分がいつかは消えることで頭がいっぱいになっただろうに、それでもほんの僅かな嬉しさに気持ちが先に浮き立っていた。 アッシュが近くにいてくれることが、この視界に入るところにいてくれることは今まで本当になくて。 たとえ自分が何を言ってもアッシュを引き止めることは出来なかったであろうから、ベルケンドでの検査が終わるまでという短い時間でも喜びにあふれていた。 第一音機関研究所に到着すると、直ぐにルークとアッシュは医務室にいるシュウのところへと足を向けた。 ジェイド立会いの下に色々な検査を受けたが、ルーク自身はどんなことをしているのかよくわからずに流されるばかりであった。 不自然にならない程度にたまにチラリとアッシュの方を見ると、腕を組んでぶすっとした顔をしつつ同じように検査に向かっていた。 同じ空間に二人だけのときもあるのに、アッシュは何も話はせずただもくもくと受けている。 そんな様子に、ルークも遮られて声をかけることが出来ない。 本当はもっと話したいこととか効きたいことが山ほどあったのに…この気持ちが萎む。 全ての検査が終わり、シュウ医師から告げられた結果は予想通りであった。 わかっていたからこそ、すんなり受け入れられることが出来たけど、本当に死を迎えるときがやってきたら怖くてたまらないのであろう。 いつか…という漠然とやってくる死の日まで。 「話は終わったようですね。では、こちらに来て下さい。」 アッシュとは個別にシュウから説明を受けていたルークに、ジェイドの声がかかる。 既にジェイドもルークの症状は知っているから、とぼとぼとそちらの部屋に向かったルークに対して何も言うことはなかった。 通された区切られた白いカーテンを隔てると、その場所にはさきほどと変わらない表情を浮かべたアッシュがいた。 検査はほぼ同時進行でやっていたから、アッシュも診察結果を聞いたのだろう。 この場は三人限りとなり、やってきたルークを見て 「おいっ…どうしてこいつがいる?」 と、さっきより不機嫌な声を出した。 こいつ、と目線で示したのは明らかにルークの存在であり、睨みを利かせた。 「ルークにも聞いておいてもらわないと、成しえない話ですので同席してもらいました。」 「え?……ちょっと、俺には話が見えないんだけど。」 淡々と言うジェイドの言葉の意味がわからなくて、ルークは疑問の声を上げる。 一体何が必要なのかとか、そんなことは何も聞いていなかったから。 そもそもアッシュがこうやって検査を受けるのだって障気を中和するのに多少の力を使ったから、念の為程度にしかルークの認識はなかった。 「ルークに説明しても、よろしいですね?」 無理やり了承を得るようにジェイドはアッシュに対して言葉を促させた。 「好きにしろ。」 ふいっと視線を窓の方へとやり、アッシュは腕を組みなおした。 難しい話なんだろうとは思ったが、ジェイドの噛み砕いた説明で状況がわかった。 アッシュが死んでしまうかもしれない。 それも、完全同位体という自分が生まれたせいで。 その事実にアッシュの目の前でガタガタと震えるわけにもいかず、ルークは必死に心の中に留めた。 自分の場合は仕方ないもう駄目なんだと、なんとなく割り切っていたから沸き立った感情も少なかったが、アッシュも同等なんだと考えると気が狂いそうであった。 「で、 一人心の葛藤に喘いでいるルークなど気にもせず、アッシュが一筋の言葉をジェイドへ問いかけた。 レムの塔にて、アッシュをここまで連れてくることが出来た口実は、これだった。 レプリカ達と一緒に行動するなどかなりの癪に障る部類に入るのだが、ジェイドはフォミクリー技術の考案者であり話を聞いても損はないと思った。 アッシュ自身も出来るなら進んで死にたくはないから、解決の道があるのならば知りたくもあったので、我慢をしたのだった。 「ルークを同席させた理由ですか…… ルークでないとあなたを助けられないのだとしたら、どうしますか?」 「言っている意味がわからないな。」 ジェイドの不本意な答えに、ますますアッシュはいぶかしむ。 アッシュが死に至る最大の諸悪の要因は、ヴァンに当たるのだろう。 そして、アッシュにとって自身のレプリカであるルークも、この現状の原因の一つである。 ルーク自身とて好きでレプリカとして生まれたわけではないから、全てが悪いというわけではないけれども、それでも憎まなければやっていられない。 そういった存在であるルークが、自分を助けるという公式が生理的にあまり受け入れられるようなものではなかった。 「ここに、お二人の検査結果があります。二人とも自身でわかっているとは思いますが、両者とも非常に不安定な状態にあります。 アッシュは、 ルークに至っては、レムの塔での超振動使用による急速な カルテをぱらぱらと捲りながら、簡潔にその結論を語る。 医学用語で難しく書かれているのを詳細に説明しても仕方がない。 どう長く説明したとしても、結果だけは定まっているのだから。 「つまり、近いうちに俺もアッシュも死んでしまう…ということだよな?」 悲しそうにでもきちんと確認しなければいけないことだから、ルークは聞いた。 「そうです。二人に共通するのは、絶対的な 完全同位体間のオリジナルとレプリカは特殊な間柄にあります。オリジナルであるアッシュにとっては不本意であるかもしれませんけど、元々二人は一つだったという仮定があります。」 「それで、どうすればいいんだ?方法はあるのか。」 しぶってなかなか解決手段を言わないジェイドに、痺れを切らしてアッシュは追撃の言葉を投げた。 「オリジナルとレプリカが、その存在を確かめ合い補え合えば辛うじて生きながられると思います。 あなたたちは、回線…フォンスロットが開かれた状態ですから精神的にはもう繋がっていまね。 あと足りないのは、肉体的な部分です。」 全ての結論を、ジェイドは言い切った。 信じようとも考えようともしない、事柄だった。 つまり、二人が一つなら生きながられる。 アッシュとルークが身体を繋げないと、このまま死ぬばかりだと言ったのだ。 あまりなその手段がわかり、思考の容量が一杯になって、ルークはぽかん…としてしまった。 「ふざけんじゃねえよ!何で俺がこいつなんかと… 大体男同士だろうが!!」 堂々とルークを指差しつつ、アッシュは憤怒した。 極度に嫌悪しているレプリカと、一緒になるだなんて頭が痛くて仕方がない。 眩暈を起して倒れそうなくらいの勢いだ。 「まあ、完全同位体で別性というのはないと思いますけどね。 ともかくこれは強要しません。ただ、こういった手段があるということをお伝えしただけです。」 さらりと言い放ったジェイドの言葉のあとは、ただ深い沈黙に入る。 死んだほうがマシとも言うが、それでもアクゼリュスの人たちを見殺しにし、何万というレプリカたちの命を食らっていきながられた命だ。 少なくとも、ヴァンによるレプリカ計画は断固として阻止して、ローレライを解放しなければいけない。 最後の最後まで、真っ当しなければいけない目的があった。 それだけは、頭ではわかっている。 意思疎通がなされたわけでもなかったが、やがて二人は顔を見合わせた。 そこで互いが抱いた感情は、同じものではなかった。 アトガキ 2006/07/17 menu next |