時々記憶がないのは、死ぬための準備だと思っていた。
しかし、ジェイドから本当を教えられて思い違いをルークは知る。
自分で寂しくないように、寂しい事がわからないように、考えないようにと働いたのは本能から。
これが、生き残るための本能の行動で、意思は全て排除されるのだ。
間近に迫る寿命は、気息の著しい乱れを伴って段々と身体を蝕んでいくその症状と課す。
人間という感覚が薄れていき、心はすさんでいく。
見た目は変わらなくとも、とっくにもうろくしてしまったのだ。
ゆっくりゆっくりと落ちていき身体の感覚も消えゆき、やがて精神は体から、そしてこの世界からも離れる。
これに、救いはない。
ルークに割り当てられた時間は、生まれたときから少なかった。
預言にも詠まれていない存在なのだから、ここに居るということ自体が奇跡にもなりうるのかもしれない。
でも、踏ん切りがつかずにずるずると思いを引きずったのはエゴだった。
心配をかけたくないと思い、本当のことをアッシュに言える筈もなかった。依存してしまうから。
本当はアッシュと決したときに直ぐにでも行動をとるべきで、未練たらしく生きたくはなかったのに少しずつ自分を殺すこともうまく出来ないで、這いつくばって生にしがみ付いてしまった。
鳥だって、ずっと羽ばたいているわけじゃない。
何をどう頑張ってもダメな時はあるんだ………
結局、この運命には抗えない。
「あー、一年くらいは持つと思ってたのにな。案外、駄目なもんだ。」
急速な流れの様子をルークは口にした。これが潮時。
とぼけても誤魔化しの聞くような相手ではないから、そのままを軽く言う。
いっそ、自分の記憶なんて消えてくれれば丸く収まるのにと、何度思ったことか。
思っただけでは叶わないと思い知るだけだったのに。
「そう楽観視しないで下さい。焦っていては、早まるばかりです。必ず道はあります。あなたはそうやって何度も乗り越えてきたでしょう。」
いつもどおりの口調でジェイドは言葉を返したが、具体的なことは何一つ言わなかった。
「…わかった、元気をつけるよ。」
持ち前だった明るさを前面に押し出そうとするのは、無理に笑うのが覚られないようにするルークなりの努力。
「話したら少し落ち着いたよ。なんだか、お腹がへって来たな。」
ここ数週間きちんと食事をとっていないのは紛れもない事実だった。
以前にもジェイドから指摘を受けたそれを改善しようという姿をルークは見せた。
「わかりました。何か簡単な物でも持ってきましょう。」
少し考えたが、やがて立ち上がったジェイドは一言そう言い、部屋からゆっくりと姿を消した。
静か過ぎる部屋で、きちんと軍靴が遠ざかりきる音を聞いたルークは「ごめん…」と小さく謝る。
ジェイドが気を使ってくれることはよくわかったが、それでもその期待に応えることは出来なかった。
今回は何をしても駄目で、誰も頼りは出来ないし、どうすることも出来ないとわかっていたから。
一握りほどの時間も許されていない事は自分自身が一番よく悟っていたから、今時点で意識があるということが与えられただけでも幸せなのかもしれない。
自分が生きる事で害をきたすならそれほど耐え難いことはないから、これ以上の迷惑はかけられない。
食事だって、食べたくないわけじゃない。もう、必要ないんだ。
ありとあらゆる器官が麻痺しつつあるから。
指を擦り通るシーツの感触に少し身を寄せると、ルークは身を上げた。
歩き方を忘れたわけではないのに、透き通る足は地に降り立つ事もままならない。
それでも、どんなに足がもたつこうが辿り着く場所があるのだから。
俺が俺であるうちに足掻くしかなかった。
部屋から厨房までは足遠かったので、近くを通り過ぎようとしたローレライ教団員に試しに声をかけたら、快く引き受けてくれた。
ジェイドが軽めの食事を作るように言付けをすると、「朝食の片付けをしている最中なので多分残りがあると思うので持って来ます。少々お待ち下さい。」と返された。
少し時間が与えられたのでその間に医務室に居ると伝えて、そちらへと足早に向かった。
室内にいた医師に確認をしてから中に入ると、ちょうど包帯を巻き終わったらしく上着を着込もうとしていたアッシュがベッドサイドの簡易な椅子に腰掛けていた。
「大丈夫ですか?」
「別に、大した怪我じゃない。」
一応治療してもらったので適度に包帯が巻かれた部分を気にしながら、アッシュはそっけなく言った。
「お話があるようなら、失礼しますね。」
そばで先ほどまで怪我をみていたと思われるヒーラーはアッシュの発言に苦笑をしながら、そう言って場を去った。
帰り際に白いカーテンを引いて遮断をし、人払いをするくらいの配慮をかける。
白いだけのそれほど広くない空間に二人。
「それで、ルークはどうなんだ?」
そのアッシュの言葉を皮切りに、ジェイドはゆっくりと語りだした。
ルークの症状は、やはり第七音素不足なこと。
そしてレプリカの寿命の短さにより、死期が迫っていること。
今オールドラントの第七音素は着実に足りなく、それがルークの症状の余計な悪化原因で、ただでさえ寿命が短いのに第七音素不足がそれを加速させたと。
ありのまま全てをアッシュに話した。
「元々惑星譜陣でも第七音素は補えないですし、第七音素を直接注入しても素養があるとは言い切れないレプリカのルークには危険すぎます。残る延命処置はいくつか思いつきますが、ルークが無意識でやっているようなら、もうかなりの末期に差し迫っているので手遅れでしょう。」
それでも、ルークは助からない。
黙っていても仕方のないことだったのでジェイドは、重病患者の遺族に告げるかのようにアッシュにだけは本当を告げた。
ルークに白々しい嘘は言わない。言えないだけなのかもしれなかったが。
「説得は、あなたからするほうがいいでしょうね。」
「わかっている。」
爪を立てるくらい強く握り締めた拳の痛みさえ感じないくらい、アッシュは無力を感じた。
程なくして厨房に立ち寄ると、手早く作ってくれたらしく食事は出来ていた。
アッシュはそのトレイを持つと、急いでルークの元へと向かった。
「私は隣の部屋にいますので、どうぞ。」
ジェイドに後押しされる間もなかった。
「ルーク、入るぞ。」
軽くノックした後、トレイを落とさないように気を配りながらアッシュは扉を開いた。
が、部屋を間違えたのかと一瞬思った。
バタンッと荒々しく扉を閉めて、すぐに隣の部屋に向かう。
扉の音とドタバタと駆ける足音にただならぬ気配を感じて、丁度廊下に出てきたジェイドと鉢合った。
「いない。もぬけのからだ。」
痕跡は見られないという惨状を口にしたアッシュは、どういうことだと言わんばかり。
「まさか…動けるなんて。」
はっと驚くように言うが、もう手遅れだった。
精神的にまいっているルークの状態はわかっていたはずだ。
ジェイドが退室してから再びここにやってくるまでにかかった時間は数時間程度だ。
少し目を離した隙にと言っても過言ではない。
この時間ならまだダアト内にいる筈で、慌しく伝えるように伝令をかけた。
アッシュもジェイドも必死で探すが、儚い。
捜索にもかかわらず、それから一日が過ぎてもルークの姿は見えなかった。
必ず通ると思われるダアト教会入り口さえも見かける者もおらず、存在が消えてしまった。
一体、どこに行ったというのであろうか。
「死期を悟ると姿を消す動物もいますが…ルークは、レプリカがそういった行動を起こすとは思えません。自殺したとは思いたくないですし。自ら姿を消したのか、それとも本能のまま………」
慰めにもならないジェイドの言葉が、アッシュを逆立てる。
考えたくない事だが、考えなくてはいけない事なのだ。
しらみつぶしにしていると手遅れで絞り込まなければいけないが、少なくても皆がいるようなところには行かないだろうから手がかりは薄い。
彼の意思を尊重しないこの行為を必要以上にやりたくはなかったが、それでも何十回も何百回も繋げようと回線を開いた。
結果は、なしのつぶて。
まるでこの思いが届かないように、行き届かない。
ルークの存在はどこかには感じるのに、肝心には繋がらなかった。
「失礼します。少々お時間宜しいでしょうか?」
回線を繋げる事に気がいっていたので近くまで寄ってきた神託の盾騎士団兵に直ぐには気がつけなかった。
騎士団兵はアッシュが酷く眉間にしわを寄せているのが見えたので、少し緊張しながら声をかけたのだった。
「ああ、大丈夫だ。何か、わかったか?」
切り替えしてそう尋ねる。
「いえ。残念ながら、確定的な物は何も…」
芳しくない結果を不甲斐なく自身に思いながらも、率直に答えた。
「そうか。」
「あ、あの。しかし、小耳にいれておくべきかもしれない目撃がありまして!」
落胆したアッシュを見て、騎士団兵は勢いよくそう切り出した。
内心はびくびくしていたが、そうも言ってられない。
アッシュが少し驚いたように目を見開いたので、そのまま言葉を続けることにした。
「第4石碑近くにいた巡礼者から聞いたのですが、街道とは違う草原を真っ直ぐに横切る赤髪の男を見たと。ただ、街の方向を示す木製の看板があったのですけどそれもすり抜けていて幻みたいだったとか、そんなおかしいことを言っていまして。そんなの人間じゃな………」
バンッ!!!
人づての話だったが長々と話す事は叶わず、アッシュの机を叩く音で最後まで言い切る事が出来なかった。
「す、すみません。」
簡単に話していたが一挙に、びくりっと肩を振るわせた。
「話はそれで終わりだな。ご苦労だった。下がっていい。」
ゆらりと顔を上げたアッシュが何とかそう言ったので、騎士団兵はそそくさと退室した。
アッシュはしばらく机に顔を向けていたが、やがては上がる。
意識を一点に集中させて、つま先を第4石碑の方向に向けた。
回線を伝って見つけられる確実はないが、大体の場所さえ掴めれば闇雲に張り巡らせるよりはいい。
いつもよりより深くの繋がりを求めて、回線を開いた。
ピンッと糸が張り、細くだが繋がったことを知る。
ルークの視界に入り込んだのを確認すると、アッシュのまぶたの裏に見えるのは、青く静かなる海。
しばらくすると聴覚器官も繋がり始めて、継続的に白い水しぶきをあげるさざ波の揺れる音が聞こえる。
それほど大きくはない港だか、見覚えがある。
パダミア大陸の玄関口であるダアト港だということを、はっきりと自覚した。
《ルーク!何をしている?》
徐々に視界が鮮明になり、ルークの姿がかろうじて見ることが出来た。叫ぶ。
「うるさいな。誰だよ、あんたは。」
当のルークはつきぬける痛みにしかめっ面を見せて、面倒くさそうにそう言った。
表情は完全には読み取る余裕がないが、やはり何かがおかしい。
「おい、兄ちゃんどうした。いきなり独り言か?」
そう野太い声でルークに向かって声をかけたのは、目の前のひげ面の飄々とした男で、怪訝そうに問いかけた。
よく見ると近くには中型の漁船が見えて、積み荷の一部と思われる樽に片足を乗せながらいかにも漁師風な格好に身を包んでいた。
「いや、何でもない。とりあえず、レムの塔近くまで行ってくれないか?」
アッシュのことは完全に無視を決め込んで、ルークは金貨が詰まった皮袋を渡しながら男に言った。
「あんなところに何の用だよ?」
本業とは違う渡し舟のようなこういった仕事は年に何回か受けて、多くの行き先は港がないところではあったが、レムの塔に行きたいという客は初めてだった。
元々は魔界にあった大陸と建造物なので珍しい事は受けあいだが、だからといって特に観光名所になっているような場所でもないし、魔物も特に難癖があると有名なのでキムラスカ・ランバルディア王国から危険地帯と認定されており、男一人が行くというのでも不思議に思えた。
「別に、ちょっと死にに行くだけだよ。」
ふっと視線を外しもせずに、お気軽にルークは口にする。
「兄ちゃん、おもしろいこというな。」
にかっと笑うくらいの反応をみせて、男の口元は緩んでいた。
冗談にしても変わってると内心だけ思う。
「とにかく、行ってくれ。」
「あいよ。特別サービスですぐ出発するぜ。船に乗んな。」
男が親指を指して乗り込みを指示すると、ルークはよっとせり出した陸地に乗り付けている船に軽快に飛び込んだ。
二人分の体重がかかると水面に波紋が浮かんで、同時にぐらりと先般が揺れる。
《ルーク!》
このまま行かせてなるものかと、アッシュは再び声を送った。
「人の頭中でぎゃーぎゃー、うっさいんだよ!俺に干渉すんな!!」
ブツリッ
ようやくに繋いだ回線は虚しくも途切れて、アッシュに頭痛が残るほどの強烈な切断がなされる。
もう、二度とは繋がりを許さないことが、脳裏に反復するだけだった。
アトガキ
2007/09/12
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