むしろ、すぐに気がつかなかった自分が馬鹿だった…とルークは思った。 納得過ぎる街の華やかな景色。 その外の賑やかさは、何を、誰を、祝福する? ただ、キムラスカ中が望んでいるということを、情景が暗に示しているのだ。 そして、目の前のやたらと見事な正装なガイ。 現在、伯爵の地位に座るガイは領地を統べるため、それほどマルクトを離れられない。 余程の理由でもなければ、他国の王都であるバチカルという地にいるわけもなかった。 それを考えれば、答えは明確だったのに… 元々は、アッシュとナタリアが許婚同士であった。 幼少の頃…むしろ生まれる前から決められていたことだが、約束は生き続けている。 この日は婚約といっても事実上の先は、誰でも汲み取れる。 年齢的に考えても近い将来、隔たりなく婚姻へと至るであろう。 キムラスカ・ランバルディア王国の将来を担う二人の婚約は、考えられないことではなくむしろ自然すぎる流れだった。 ルークは衝撃をつきつけられたが、足を踏みしめて見定めるばかりであった。 染み渡るように言葉がじっくりと浸透してくる。 自分が居なくなってから数年の歳月が経過している。 その間に何があってもの覚悟はあって、ここに来たつもりであった。 でも、そう言われて何か出来るのかと問われても何も出来るわけがない。 本当の自分はエルドラントで終わり、執行猶予がついたわけでもないのだから。 今日限りであるルークという存在では、儚すぎる。 「アッシュは、おまえの存在を無かったことにしているくらいなんだ。今更、会っても辛いだけだ。」 今日が何の日か知って動揺を隠し切れていないルークに、ガイは続く言葉をかけた。 折角戻ってきたのに、この日というのは的確な皮肉にしか思えない。 ルークに、今日じゃなきゃ駄目な理由があるのは痛いほど良くわかる。 しかし、いざ会っても…ルーク自身が傷つくことはわかっているだろう。 ルークの為を思っての強い助言だった。 「………それでも、そのために来たんだから。」 数年ぶりに会ったというのに、ガイには全てを見透かされていた。 気持ちもわかってもらえてその上で、気を使ってくれることは本当にありがたいと思う。涙が出るほど。 だからこそ、ガイの助言を無碍になんてしたくなかったけど。 「頼む…お願いだ。アッシュに会わせて欲しい。」 沈痛な面持ちの中、振り絞るようにルークは一点を述べた。 これが、ルークの最期の願い――― やはりそう言うのがわかっていたかのように、ガイはただ黙って聞き入れた。 「ルーク様?本日は城にお泊りになるのでは。」 月夜も遠い時間帯は、ほどなくもすれば日付が変わる。 そんな遅くに疑問の声を上げたのは、ファブレ公爵邸の正門を守護し白光騎士団の門兵であった。 平常を示すのが責務であるが、表情は鉄仮面の下に、驚いた声を出した。 「少し用があってな。」 ルーク…と呼ばれたアッシュは、立ち止まってから言葉を返した。 「お疲れ様です。どうぞ、お入り下さい。」 一礼をしながら、労わりの言葉をあげる。 今日は婚約パーティーだったというのに、相変わらず忙しい人だとの意図も混めて。 そんな門兵の横を少し急ぎ足でアッシュは抜けていく。 引っかかるガイの不可解な言葉を解決するために早く――― その日は、アッシュにとって稀代にもおける忙しい日だった。 数週間前から準備はしていたが、当日の予定は更に過密である。 婚約パーティーという人生でもそう迎えることはない日なのだから、仕方は無いと思うが、夕焼けが落ちるころ始まるパーティーに向けて、早朝から屋敷を出て城に詰めていた。 準備に準備を重ねていよいよ始まったパーティーでは、ファンファーレが鳴りきった後でも、主催として要人の相手に徹してしていた。 ふっと人の波が途切れ、ようやく水の一杯でもゆっくり貰おうかと席を外したアッシュを待ちかねていたのは、張り詰めた雰囲気を纏ったガイだった。 対外が光る面では絶対に呼ばない「アッシュ」というかつてのように名を呼んで。 「必ず今日中に、ルークの部屋に来い。」 無理難題ではあったが、凄みながら刺々しくガイは言った。 ガイが本当にルークと呼ぶのはただ一人なので、アッシュは場所だけは理解した。 しかし詳しい理由を聞いても、それだけしか言わなかった。 たった一つの抵抗理由まではアッシュにはわからなかったが、ガイの声は本気だったから、それだけで物語るのは十分な証であった。 「行っても行かなくても俺は恨むけどな。」 他に人が来てしまった為、捨て去るように言ったこの言葉が、どこかに引っかかった。 完全に押されたというわけではなかったが、必ずと言ったガイの覇気がピリピリと残る。 晩餐会の後にも色々とあいさつ回りなどするべきことがあるので正直この時間で抜けるのは相当大変であったが、アッシュは何とか手早く切り上げた。 それでも、ぼやぼやしていれば今日という期限も終わるほど、ずいぶんと遅くなってしまった。 誰もいない廊下を足早に進みながら、真紅の髪を引き立てている榛色のリボンを外して三つ編みを解いた。 続いて、髪をかきあげながら、あでやかな朱色に染まっている正装の詰襟も少し緩める。 屋敷に帰ってまで堅苦しくしていたいものではない。 簡単に身支度を済ませると、いよいよアッシュはルークの部屋へじっくりと足を伸ばした。 薄暗い室内に付けられた照明はただ一つだけで、紛れる月夜に照らされて、部屋を託したその相手がいた。 「突然、ごめん。」 始まりの言葉なんて考えていなかった。 だから、ルークはただ短絡的に謝ることしか出来ない。 「随分と久しぶりな顔がいるな。」 ベッドサイドに立ちっぱなしのルークの顔をちらりと目視してから、アッシュはため息交じりで漠然と言った。 もはや二人とも挨拶もそこそこな間柄である。 「えーと、あんまり驚いてない?」 アッシュの性格はわかっていたが、あまりにもあっさりと言葉を返されたので、逆にルークの方が驚く。 別に驚いた様子のアッシュを見たかったわけではないが、一応ルークは死んだとされているし、突然現れたらもう少し手ごたえがあると思っていたのに、意外だった。 もう忘れられて、記憶の彼方に追いやられた存在になっていたかもしれないので、うれしいような悲しいような複雑な反応をルークはしてしまう。 「当然だ。 さすが完全同位体である、アッシュはルークが完全には潰えていないことに気がついていた。 いつかやってくるこの日を待ち兼ねるようにしていたのだ。 「それで…ガイを使ってまでして、何の用だ?」 「えーと、実はあんまり考えてなかったり。」 なんだろう…こうやって改まって時間を与えられると、わからなくなる。 元々は一緒にいたかっただけなのだから、無理も無いかもしれないけど。 「冷やかしに来たんなら、戻るぞ。」 はっきりと言われないルークに一瞬の難色を示して、アッシュはさっさとそう言った。 少し苛立つ気持ちをこれでも抑えているつもりだ。 「あー、っと、………話がしたい!俺が居ない間の事とか。」 慌てて取って作ったかのように、ルークは叫んだ。 「ガイからは聞いていないのか?」 「アッシュの口から聞きたいんだ!」 そこまで受けて、アッシュはルークに対して今までで一番の譲歩を見せる。 近況とか他の仲間達の様子とか、空白のルークの期間をぽつり、ぽつりと話し出す。 それほどかわりなきことのようだったが、元気なようだった。一番はみんなの幸せだ。 アッシュは特別に滑舌が良いわけではなかったが話してくれたことだけで、ルークは嬉しかった。 そう…なんだか初めてちゃんと会話が出来た。 二重になることはないと思っていたのに、同じ物事を同じ目線で見ることが出来話せる、こんな間柄になることをルークはずっと望んでいた。 このときだけこの部屋は、二人のルークの部屋だった。 「………消えるんだな。」 差し迫り過ぎた時間が訪れようとしたとき、アッシュは直感的にそう言った。 「うん。」 もう何もルークは驚かなかった。 「ありがとう。俺、アッシュが好きだったよ。」 叶わないこその過去形。 この口で伝えて、そして思い残すことなく消えることが出来る。 本当に、好きだったんだ…と、心の中だけにしまいこまなくて済んだのだから、それだけで思い残すことは無い。 「最期だからといっても、俺はおまえに何もしてやれない。」 生色のないルークを見つめて、アッシュは言葉を返す。 「いいんだ。そう言うってわかってたし。」 想いを擦り付けるようなまねは出来ない。 今更、情けをかけられたくもないし、きっぱりと諦めて思いを断ち切るために告白したのだから。 それでも、真摯に開かれた瞳の中に苦しさが紛れるのが見える。 オリジナルであるアッシュの下に還れば、言わなくてもルークの気持ちは知られてしまっただろう。 アッシュに染まる前に自分の気持ちを伝えることができただけでも、幸せだと思わなければいけない。 俺には彼以外いないのだから。 そうして、残酷に時だけは決まっていて、彼のためだけにある時間が終わりを告げる。 努力しても叶わないことがあるのだから、誰も奇跡はおこせない。 ルークの雲は、もう晴れなかった。 ルークは、最期のもがきをもせずに、黙って静かにしている。 揺らめく波のように蝕んでいき、実体が消えていく。 これで完全にルークは消え去り、真っ直ぐに死んでいくのだ。 受け入れ先であるアッシュは、手を伸ばす。 それは、霞み逝くルークの手と重なる。 目に見える形で、ルークはアッシュに吸収されてまとまりを得た。 本来生まれた場所に帰るように、アッシュの中で逝き途絶える。 二人を遮るものなんて、何もない。 そして、繋ぐものだって、何も無い。 ルークは、アッシュの中から始まり、アッシュの中で終わったのだった。 最期まで、許さなくても優しくもしない。 それが俺なりの… そうだな。好きだったのかもしれない。 消える存在を、すんでで掴み取った。 翌日の朝は、抜けるような晴天だった。 昨晩のパーティーに至るための前夜祭を含め、疲労したバチカルに住まうものたちの朝は、遅くあるべきだった。 しかし、ファブレ公爵邸を出た彼を出迎えたのは、ガイだった。 長らくしていた腕組みを解き、歩み寄る。 「ルークはどうした?」 「ここにいるさ、ずっとな。」 そのときガイに向けた表情は、アッシュのものでもルークのものでもなかった。 琥珀の中に一生眠り続けている彼が望んだ世界という未来を作るために。 今も、そしてこれからも、この世界にいるのは、たった一人のルーク・フォン・ファブレ。 アトガキ 終わりです。少々わかりにくい話でしたが、解釈はお読みくださった方にお任せします。 2007/07/12 back menu |