[PR] バックアップ      ル フ ラ ン     
  彼を再び失うための一日  1










今も、そしてこれからも、この世界にいるのは、たった一人のルーク・フォン・ファブレ。














かつては毎日歩きなれたその長く広い廊下を、ガイはゆっくりと歩いていた。
このファブレ公爵邸に使用人として勤めた日々は年月としたら長かったが、こんなにゆっくりとしたことは今までなかった。
その床には、踏みしめるのには勿体無いほど華麗に染色された瑠璃色の絨毯がひかれている。
両脇に構える一寸の違いもない窓枠から常にもれている日は、光の王都の如く最上位からもたらされる光として常に輝いている。
磨かれ続けた石が礎を築き、眷顧な造りは均一に屋敷全体に使われており、所々には明かりを取るために照明として燭台が置かれていた。
マルクト帝国グランコクマのガルディオス邸へとガイの住まいが変わってから、もう数年が経過したが、その様子は変わらずであった。



「あら…ガイじゃない!」
目的の場所へ向かう途中にかけられた声。
驚くようにガイの名を呼んだのは、使用人時代の馴染みのメイドである。
本来なら使用人とメイドでは責務は違うのでそれほど多くは関わらないのだが、交流深くしていた若い女性だった。
「あ、すみません。ガイラルディア様ですよね。失礼しました。」
思わず昔の呼び名が出てしまったことを悔いて、メイドは言葉を直した。
ついでに向かっていた姿勢をきちんして、非礼のないように整える。
「いや、別に構わないさ。」
特に気も留めないようにガイは言った。
確かに以前とは随分と身分が違ってしまったが、親交のあった人物から改めて言われると、寂しい気がする。
他に人がいるようなら体裁は整えなければいけないのだが、広い廊下に二人きりで他に誰もこなそうな今は、堅苦しいことは抜きにしたかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて………久しぶりね。今日はどうしてここに?」
一呼吸置いてからメイドは尋ねる。
ガイがこの屋敷に近寄らなかったというわけではないのだが、普段はマルクトに移住している身であるから、とても珍しく感じた。
「式までは大分時間があるから、ちょっとね。」
「ルーク様なら、もう城に向かわれたわよ。」
苦笑いをしながら答えるガイにピンッと来て、メイドは先走ってそう言った。
ガイと一番面識のある人物でこの屋敷にいるとしたら“ルーク”だったから。

「アッ………いや、探しているのは違う人物さ。」
思わず別の名の人物を出しそうになり、ガイは口ごもった。
メイドが言った“ルーク”は、ガイの見知ったルークとは違う人物だったから―――



あの、ルーク・フォン・ファブレがタタル渓谷へと現れて、一年の年月が経過した。
その彼が告げた事実は、かつての自分はアッシュであったということ。
ただ、それだけだった。
俗にレプリカルークとされたもう一人の彼は、二度とガイ達の前に現れることはなかった。
かつてのルークの仲間がいくら問い詰めても、アッシュはルークのことを口に出すということはしなかった。
元々、心を開かれているわけでもないが、ルークの事に関しては特に頑なに口を閉ざしたのだ。
だから、ガイにはすんなりと受け入れるしか道はなかった。
それで終わりが続いている。

戻ってきたアッシュは、そのままバチカルへと帰還した。
てっきりアッシュとして生きるのかと思いきや、未練があった感じもない。
ふっきれた様子を見せて、周りから再び与えられた“ルーク”の名を黙って受け入れて、ずっと生きている。
オリジナルの“ルーク”はアッシュであるから、彼が今ルーク・フォン・ファブレと名乗ることは間違いではない。
それでも、納得の出来ない心をガイは持ち続けていた。





そんなことを考えながらも、目の前のメイドと懐かしい話をいくつかすると、瞬く間に時間が過ぎていってしまう。
いつもはこの往来では他のメイドも行きかうのだが、今は出払っているため、気をとられずに話し続けることが出来た。
しかし、今日はファブレ公爵邸のメイドたちは格段に忙しい日だから、ゆっくりとしているわけにもいかない。
儀礼程度に別れの挨拶をし、ガイはそのメイドと分かれた。











―――こんな行動をするのは、今日がとても特別過ぎる日だからかもしれない。
それは、ため息をつくような日ではなく誰もかもが待ち望んだ日で、めでたい日だとは思うが…ガイとしては釈然としない心を持っていた。
なぜか素直に喜べないで居る。

思わぬところで足を止めたのだが、ガイがファブレ公爵邸に来たのは、先ほどのように昔話に花を咲かせるためではなかった。
引きずるように悲観していてもどうにもならない、改めての確認したい場所がある。
大輪を咲かせる花々を覗かせている庭を越えて、ガイはルークの部屋の前へと足を運んだ。
一陣の可能性にすがりたくもあったが、また誰もいない部屋を見るためにガイはその扉を開いた。
前にも訪れたことがあるので知っている。
ルークの部屋と名はついているが、帰還したアッシュはこの部屋を使っていない。
だから、昔のままの形を残していることを。
誰も使わなくなった部屋は、もぬけではない。
あのルークが何時でも戻ってこられるようにと、ファブレ公爵とシュザンヌ夫人の配慮でもあった。
いつまでも漂白されたままのシーツに包まれたベッドの横を通り、ガイは窓際に立つ。
こんな晴天の日では、熱いくらいの光を浴びる。
偽りとはいえ聖なる焔の光を思い起こすように、空が熱かった。



ガチャリと、少し背を伸ばして換気のために窓を開いた。
それは、何気ない行動のはずだった。が。

変わりなくある風景が広がっていると思っていたのに、開いた窓へと飛び込んでくるのはきめの細かい光の粒子。
ゆっくりと迷い込むように流れ込む七光りはどんどんと集まり、導く示唆を果たされる。
その光が繋がっている先は、新たに加わった第七音素(セブンスフォニム)の音譜帯だと、ガイが気がついた瞬間。





突如、舞い降りるように“彼”は光の王都に戻ってきた。
皇かに降り立つのかと思いきや少々的外れで、足を外したかのように着地に失敗して、床へと降りた。

「ル、ルーク?」
思いつめた末の陽炎かと思い、半信半疑でガイはその人物の名を呼んでみた。
その姿かたちは焼きついてはいるが、現実に見えると疑いたくもなる。
「うわっ、ガイ!」
意外な人物に出会ってしまったのはルークも一緒で、同じく名を呼び驚いた。

しかし、これはルークが望んだ状況ではない。
ガイが固まっていることをいいことに、周りを少し見回したあと、やってきた窓の縁を跨いだ。
行く道なんてそれほど考えてはいないが、ただ、その場から逃げ出すためにルークは後ろを向いた。
その動作にはっと我に戻り、ガイの硬直は解けた。
反射的に去ろうとするルークの腕を掴み取ると、そのままルークは力に引っ張られる。
窓際から引き離されると、そのままバランスを崩してベッドへ倒れた。
視野が変わる。
痛みなどはないが、こうなっては簡単に逃げ出すことはできない。
観念をしたようにルークは起き上がった。



「戻ってきたのか。」
感嘆するように、ガイは語りかけた。
腕をつかめたことでその実態を感じたから、なおさら言葉は深い。
まるで昔に戻ったように気さくに、肩を大きく叩く。懐かしい。
「うん。まあ………えーと、ここは俺の部屋だよな?どうしてガイがいるんだ。」
「ああ、たまたま来てたんだ。」
若干口を濁しながら、ガイは答える。
しばらくバチカルに滞在するのは嘘ではなかった。
「そっか。着地点を間違ったのかと思ったよ。」
そう言うとルークは立ち上がり、伸びをした。
んー久しぶりに気持ちのいいものだ。
今まではガラス越しの世界だったということを思い知る。
ここは、ありとあらゆる感覚が違う、五感の働く世界なのだ。
「おまえ…今までどこにいたんだ?」
色々と聞きたいことはあるが、ガイは一番にそれを聞いた。
エルドラントにて最後のルークの姿を見送ってから、もう何年も経過している。
ルークは成長期であるからそのまま過ごしていれば少しは顔立ちなども変わっているであろうが、この場に現れた姿は昔のままであった。
レプリカだから、何か特質的なことがあるのかもしれないが、それにしても気になることである。
死んだと思われて葬式どころか墓標まできちんと作られたルークが、人知れずオールドラントにいたとはあまり考えられることでもなかった。
「どこ…と聞かれると難しいんだけど、一応音符帯に居たっていうのが一番正しいかな?」
ルークの方が考え込むように、そう答えた。
「音譜帯?ローレライが居る場所か。」
オールドラントの遥か上空。
人智では手の届かない場所である音譜帯は、こちらからは眺めることしか出来ない。
そんな場所にいたとはそれほど想像できることではなかったが、ルークが嘘をつく理由もない。
ルークが消えたと思われた直前に解放されたのは、第七音素(セブンスフォニム)の最大集合体であるローレライであった。
それと共に音譜帯に向かったと考えるのがこの結論では一番すんなり思えた。
「そう。力を使い果たした俺は小さな意識集合体になったんだけど、それをローレライが引き上げてくれたんだ。それ以来、音譜帯でぷかぷか浮いていた音素を運んだりしてた。音譜帯には、意識はないけど俺の他にもたくさんの音素の集合体がいるんだ。」
漠然とした説明ではあったがルークは今までの状況を話した。
元気にしていたと、一番に伝えたかったから。
安定を保っているのは間違いではなかった。

「そうか。それにしても、随分と突然戻ってきたんだな。もっと、早く来れなかったのか?」
「一応戻ってこれたのは、今までローレライの手伝いをしていた、褒美なんだ。普通はこんなこと認めてくれてないらしいし。」
そりゃあルークだって戻れるものなら早く戻ってきたかったけど、前例のないようなことをローレライに頼み込むのは相当大変だった。
それに既にもう一人の彼のことで、ローレライには便宜を図ってもらっていたから、本当はこんな我侭は許されることではなかった。
「それで、よりにもよってこの日か…」
「この日?」
視線を床に落としながらも独り言のように呟いたガイの言葉を、ルークはしっかりと聞き取っていた。
意図を掴めないので、不思議そうにかしげる。
「いや、忘れてくれ。
それで、これからどうする?まず、ファブレ公爵とシュザンヌ夫人に挨拶だよな。あと、みんなにも連絡をとらないとな。」
ぶつぶつと呟きながら先走って計画を立てたガイだったが。

「ごめん。俺、本当は誰にも会わないつもりだったから。」
みんなと会ったら余計に辛いとわかってる。
ガイの気遣いを無碍にしてしまうことだとはわかっていたが、ルークはきっぱりと言った。
「どういうことだ?」
先ほどもガイから逃げようとした。
突然のことで戸惑っての行動だとでも思っていたが、それが違うなら。





「俺は、今日一日限りしかここにいられないんだ。」



ローレライと約束した。
一日経ったら完全に、ルークという存在は消え去る…

そう、ルークは言葉を続けた。











一つだけ思い残したことがあるから、それを叶える為の。

これはルークの、たった一日の話―――















アトガキ
アッシュが登場しなくてすみません。多分、次話も出てきません…
2007/06/05

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