ヨガ      ル フ ラ ン     
  不機嫌なコントラスト












にじむ暑さという季節はまだ少し先の、うららかな昼下がり。
穏やかに流れる風と、心地のよいすべての光を集めたような時間帯がやってくる。
単純に平和とはいえないが、それでもこうやって心のゆとりを持つことが出来る。
この、ほんの少しのんびりとした時間を、アッシュは気に入っていた。
昼夜問わず、忙しく公務に励む間の唯一の一息つける時間を、進んで作る。
夜とはまた違う邪魔立てするものはない和やかな静かさが、あたりを覆う。
一般的に見れば半端な時間ではあるが、アッシュはバチカルの屋敷に戻るために早々にその足を向けた。



「おいっ。どうして、てめえがここにいる?」
わずかな驚きを含めて引きつった顔をしつつ、アッシュはその相手にそう言い放った。
ここは、間違いなくキムラスカ・ランバルディア王国首都バチカルのファブレ公爵邸の中庭である。
変わらずに涼しげに張られた流水と、色とりどりに植えられた花々が添えられていて彩を与えている。
いつもとほんのり違うのは、中庭の真ん中に象牙作りの白亜のテーブルとイスがおかれていること。
元々、ルークの部屋の前のテラスに置かれているものが、なぜかここへ移動されていた。
そして優雅な仕草も正にあい、そのイスの席にいているのは、問題の人物−ジェイドであった。
お決まりの鮮やかな蒼い軍服を身にまとい、似非くさいにっこりとした顔をして、アッシュに対して手をひらひらとふった。
「久しぶりですね、アッシュ。ちょうどバチカルに来る用事がありまして、ついでにこちらに寄ってみました。」
挨拶もそこそこのアッシュに対して、ジェイドは手短に質問に答えた。
相変わらず浮かべているのはゆるい笑みで、それがすべての表情を覆い隠している気がする。
口調は明るいが、腹では何を考えているのかわからないというのがこのジェイドのお得意技である。
こちらに不利益をもたらそうとしているのか、していないのかも掴み取れない。
そういう相手であるからこそジェイドがこの場所に様になるように座っていたのは、アッシュとしてはなかなか快く思えるものではなかった。
気分が下落して、眉間に得意のシワがよる。
はぁと、アッシュはジェイドに見せないように心の中で一つため息をつく。
こういうのを、“タイミングが悪い”というのであろう。
アッシュが急ぎ足で屋敷に戻ってきたのは、ルークにこの時間に屋敷にいるようにと指定されたからであった。
アッシュとルークは、それほど滅多に同じ公務をするということはなく、今日のルークの公務は休みのはずであった。
何の用だか詳しくは聞かなかったが、それを踏まえての指定なのである。
だから、目の前のジェイドが邪魔者に当たるか当たらないかと、漠然と判断して答えるとしたら結果は決まっていた。
「いつまでも立っていないで、座ったらどうです?お茶も用意してあるのですから。」
人の気をわかっているのかはわからないが、突っ立ったままであったアッシュに対してジェイドは軽くそう言い、横のイスを指差した。
そこには、確かに空いた席と空いたカップがおかれていて、間違いなくアッシュの席ということなのであろう。
言われたとおりにするのは癪でもあったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
しかたなく、イスをひいてアッシュはぶっきらぼうに座った。
特に話すようなこともないので、アッシュは目の前のふたがしてあるガラスのアンティーク作りのコーヒーサーバーを手にとる。
意外と淹れたてのようで、ほんのり伝わる暖かさ。
ティーカップを返し、アッシュは入れてあったコーヒーを注ぎ込んだ。
香ばしい湯気があたりを覆う。
ファブレ公爵邸で飲まれているものであるのからして、もちろん最高級品である。
淹れたコーヒーに若干の砂糖を入れて、アッシュはカップを口に付けようとする。

「おや、アッシュは砂糖を入れるのですね。」
合間に飛び込んできたジェイドの張りの強い声に、気が触る。
「それがなんだ。」
顔の方向を変えずに、視線だけ動かして言った。
アッシュ自身としては特に何か言われるような筋合いをした意識はないから、何か言われるのはそう気分のよいものではなかった。
「いえ、言ってみただけです。」
アッシュの問いをはぐらかす様に、ジェイドはとぼけて答えた。
相変わらず掴めない食えない男である。
そのまま二人の間に、静けさという嫌な空気が流れる。
大空を羽ばたく鳥々も迷い込まない、入り込みたくない、その空間。

これが、いつまでも続くのかと思ってしまうほどであった。








「あ、アッシュおかえり。間に合って、良かった。」
ひょいっと顔を出すように、声をかけたのはルークであった。
途端に、固まった空気がやっと溶け出す。
さして大きくもないテーブルを囲むアッシュとジェイドの、はたからみれば異色の取り合わせにも感じられるアッシュとジェイドの様子を気にもせずに、ルークは明るい声の様子であった。
あまり足元を見ていないのか少しつまずきそうになりつつも手には、トレイ一式を持っている。
いそいそとやってきて、それをテーブルに持ち寄って置いた。
置いた瞬間にカチャリと奏でる食器音が、少し礼儀悪い。
テーブルの中心に置かれたトレイの上には、たっぷりのスコーンが盛られた皿があった。
「間に合う…というのはどういうことだ?おまえがこの時間を指定してきたのだろう。」
前々から言われていたが、時間に遅れないようにと昨晩の夜は念押しを更にした。
あえて言わない理由が気になったりもしたが、とりあえず了承してアッシュはここにきたのであった。
「実はこのスコーン、俺が焼いたんだよ。だから、焼き上がり時間の心配してたんだ。」
間に合ったことに安堵してうれしそうに、ルークはそう言った。
スコーンの盛られた皿に手をやり、とても満足そうにしている。
「おまえ、菓子なんて作れたのか?」
これにはさすがのアッシュも驚いて、疑問の声を出した。
何をどう考えてもルークは不器用そうだし、近くで見ていても実際不器用である。
料理を作ったところも、料理に興味があるところも、見たことはない。
そんなルークであるからして、ケーキとか壮大なものではなく簡単なスコーンとはいえど、繊細な気配りの必要な菓子作りが出来るとは思ってはいなかった。
「バカにすんなよ。旅をしていたときは、料理当番持ち回りだったんだぜ。」
やっぱりそういわれると思ったと、心の奥で含みつつ納得させる言葉を出した。
「そういえば、努力…はしてましたねえ。」
ルークとは違う方向を向きながら、ジェイドはポツリと言った。
心なしか“努力”という言葉のイントネーションが高い。
そんなことから、やはり味のほうは大層大味だったらしいことがうかがい知れる。
軍人としては野営の料理は腹が膨れればいいというレベルであったから、ジェイドは特に文句を言ったことはなかった。
というか、ルークとナタリアの料理には誰もが大して期待していなかったというのが正解ではあったが。
「これはティアに教えてもらったんだよ。だから、大丈夫だっつーの。」
改めてスコーンを手のひらで示して、強調する。
スコーンの見た目は確かにおいしそうである。
しかし作ったのがルークとなると、微妙という感覚におおわれた。
「まあ。いざとなったら、ジャムの味でごまかせるな。」
添えつけられたジャムやシロップやクリームを確認しつつ、アッシュはそう言った。
この見た目で、壊滅的な味というのはありえないであろう。
そんなものが作れたら、ある意味天才でもある。
「ひでーなあ。アッシュって、意外と甘いもの食べるからさ。俺のも食べてくれるかな…と思って作ったのに。」
言葉は軽く言ったが表情はしょんぼりして、ルークはボソリッと呟いた。
アッシュが午後のひとときを気にいっていることは、前々から知っていた。
正直、ルークは料理が苦手である。大のつくほど。
ましてや、菓子なんてほとんど作ったこともないし、興味もなかった。
でも、何とかアッシュに食べてもらいたくて…この休みを狙って四苦八苦しながらもティアに教わりつつ頑張ったのだった。
「別に、食べないとは言っていないだろう。勝手にへたれるな。」
沈んだルークの様子を見て、アッシュが諌めの言葉をかけた。
甘いものは疲れをとるという言葉がある。
それに倣ってというわけではないが、アッシュは結構そういったものを摂取していた。
一般的に甘いものは女性が好むといわれているから、自分のイメージとは180°違う。
だから、微妙に甘党であることは口には一切出していなかった。
ルークがそれに気がついていたことと、この気遣いには、感謝してやってもいいと思った。
プライドが邪魔をして、直接口には出さないが。
「ほほえましいですねえ。」
アッシュとルークのやり取りを見て、にこにこしながらメガネの向こうで目を細めてジェイドは言った。
「てめえがいうと、意味深で裏をとりたくなるな。」
能天気なジェイドの言葉にアッシュは、じと目でそう答えた。
そうだ、こいつも居たんだ。と少し忘れていた結果ではあるが。
「いえいえ、私は心の底からそう思っていますよ。」
「つっ…そう思うなら、先に手をつけるな!」
いつの間にか伸ばされたジェイドの手は、スコーンの盛られた皿を捕らえていた。
ルークの作ったものを進んで手にとるとは思えず、明らかにアッシュへの嫌がらせ目的であろう。
それをわかっていつつも便乗してしまい、アッシュはスコーンの盛られた皿を急いで引いた。
幾重にも盛られたスコーンの山が、少し揺れて崩れる。
「私はお客さんですよ?」
のらりくらりと、当たり前のごとく言う。
「話を聞いていただろう?てめえは、明らかにオマケだ。」
「いいますねえ。」
相変わらず、アッシュのあたりとジェイドのあたりでは違う雰囲気の空気が流れた。

「あ!スコーン食べるなら、コーヒー淹れなおすからな。」
アッシュとジェイドの水面下の争いなど気にせずに、ルークは張り切ってそう言った。
待っていましたとばかりの準備万端で、もうコーヒーサーバーを手に持っている。
新しくルークが持ってきたそれは、湯気が新しくたって心地よい匂いも共に流れてくる。
「メイドにやらなせいで、おまえがいれるのか?」
ルークの意気揚々とした積極的な行動に、アッシュは疑念を落とす。
「折角ジェイドが久しぶりに来てくれたんだから、自分できちんともてなしたいんだよ。コーヒーだけどな。」
「そういえば、スコーンといえば普通は紅茶ですね。コーヒーとは、また珍しい。」
合わないわけではないが、スコーンとセットでやってくるのは紅茶というのが確かに一般的であった。
別にジェイドは紅茶の方が好みというわけではないのでさほど気にしていなかったが、一応口に出しておいた。
「俺が、紅茶の独特な味が苦手なんだよ。」
ごめんな…と言葉を付け加えつつ、ルークが答える。
「完全にお子様味覚だな。それに、コーヒーだってミルク嫌いだから砂糖を散々入れているよな、おまえは。」
ルークが盛るように何杯も砂糖を入れていたことを思い出して、アッシュは軽い胸やけをおこしそうになる。
あれでは、砂糖自体を呑んでいるのとさして代わらない分量である。
自分もたしかに砂糖を入れるが、ルークのあれは正に未知の領域であった。
「い、いいだろうが。個人の自由だろ。あーもー、コーヒー注ぐからジェイド。カップ置けよ。」
「はいはい。」
とても客をもてなすという様子にはみられないルークではあったが、強引に体裁だけは整える。
飲み干されたジェイドのカップに、ぎこちない手つきで新たにコーヒーを注いだ。
「ブラックで、良かったよな?」
「ええ、ありがとうございます。」
手前に戻されたカップを見て、ジェイドは謝辞を述べる。
そしてなみなみと注がれたカップを、口に運んだ。
誇り高きほろ苦さが、速やかに胸を占める。



「さっきも言ったんだけどさ。やっぱ、格好いいよなあ。」
ジェイドを見つつ、ほわぁとしながらルークはそう言った。
尊敬の眼差しみたいなものが、その眼光には着実に含まれている。
そのルークの様子に、アッシュはぴくっとその形の良い眉をひそめた。

正直、気に入らない…と思う。
ルークがジェイドに対して「格好いい」と言ったのだ。
気を回さないほうが、むしろおかしいというものである。
そんなアッシュの様子は気に留めず、ジェイドが反応した。
「ブラックが、ですか。この年になるとコーヒーは嗜好品というより、必要だから取ることが多いですよ。」
会議の接待で出されたり、眠気防止のためだったりと、ジェイドにとってコーヒーは幅広かった。
もし嫌いになろうと思っても、早々になれるものではないであろう。
かなり身体に染み付いているものでもあるから。
「うーん。でも、やっぱブラック飲める人は、大人って感じで憧れるよ。」
ブラックコーヒーというステータスにとても憧れはしていたが、激甘党の自分には生来無縁そうであったから、慕う対象になる。
素直に格好いいとか憧れるとか賞賛の言葉が、ルークからでまくった。

「…………………………」
胃がムカムカするというのは、これが当てはまるのだろうか。
先ほど飲んだコーヒーのせいだけではない妙な感じが、アッシュの中にただ溜まった。
原因が微妙にわかっているからこそ、それを吐き出す場所が見つからない。



「あ、ごめん。アッシュにも淹れるからな。」
機嫌が悪そうなアッシュにルークはやっと気がついて、コーヒーを注いだ。
いつまでたってもコーヒーを淹れなかったから怒っているんだろうな…と思っているルークは、少し勘違いではあったが。
別段特別でもない手つきで、淹れられたカップを素早くアッシュの元に戻した。

「アッシュは、ミルクと砂糖入れるのか?」
ミルクと砂糖の入ったクリスタルガラスの小瓶はルークの手元にあるから、言った何気ない質問。
首をかしげるぐらいに、聞いてくる。
それに対して、アッシュは安易に答えることが出来なかった。
「アッシュは先ほど、砂糖を少々入れていましたよ。」
まるで、黙りこくるアッシュのフォローをしたかのように、ジェイドはさきほど見た事実を言った。
明らかに確信犯である。
「そうなのか?じゃあ、これ。」
コトッ
わかっていて言う奴だから相当にたちが悪いジェイドの言葉に促されて、ルークは砂糖の小瓶をアッシュの近くに置いた。
ルークにとっては、この行動が悪いなどとは微塵も思ってはいないだろう。
だから余計に気に触ったのかもしれない。
目の前に置かれた砂糖の小瓶に、アッシュが手を伸ばすことはない。

ただ、沈黙という沈黙が辺りを走る。





「……………さっきのは気まぐれだ。俺は、ブラックだ。」
散々ためて、アッシュはようやくそう言った。
いや、言い切った。という表現のほうが正しいだろう。

凄んだ様子のアッシュを見て、きょとんとするルークを尻目に、アッシュはそのまま注がれたコーヒーを飲んだ。
コーヒーに意識をおいていたから、アッシュは、見えないところで苦笑したジェイドの様子は見ることが出来なかった。









この時から先、いつもコーヒーはブラックになったわけだが、飲みなれると悪くない。

だから、まあ…
今となっては、いい思い出ではあるのかもしれない。
















アトガキ
100000hitキリリク。
ED後、アッシュ・ルーク共に生存。何か甘いモノ食べながら、実はアッシュは甘党だったという感じのお話。というリクエストでした。
2006/07/01(UP2008/11/01)

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