多汗症 医療事務      ル フ ラ ン     
  壊れて、最高の笑みを













『ルーク・フォン・ファブレ殿下は、生きているかもしれない?』






ぱさりと横へ置かれたカラフルな色合いの紙束の見出しを横目見ると、アッシュは多少眉をひそめた。
そして露骨に嫌な声を発することになる。
「ディスト、余計な物を持ってくるな。」
アッシュの横にその、うすっぺらい小冊子を置いたのはディストだったから、直接言われる結果となる。
「何を言ってるんですか。現実を見ようとしないあなたに分からせるために持ってきたんですよ。騒ぎになっていると言っているんです。」
ぶつくさ言いながらもディストはもう一度本を拾い上げて、再びアッシュの横へと置いた。
軽い紙の僅かな音が静かな室内に揺らめく。
そこまで言われたので、一応の仕草の一貫の為にアッシュは小冊子を持ち上げた。
小冊子というよりは細い紐で綴られている紙束と言った方が正しいであろう。
パラパラと捲ってざっと目を通す、アッシュはまた本を遠ざけた。

「ルークが生きているだって?馬鹿馬鹿しい。ルークも俺も生きているわけがないだろう。」
アッシュがパシンッと放った小冊子は、いわゆるゴシップ紙の一種であった。
キムラスカ・ランバルディア王国の貴族社会を中心に流通している雑誌だ。
社交界の噂や流通業界を牛耳る運搬組合の醜聞などを細々と暴露しているが、その中でも一番特集されやすいのがロイヤルファミリーことキムラスカ王室関連の記事であった。
王国という体裁はあるとはいえ、実質は貴族社会なので、ある程度の言論の自由は認められている。
良い意味でも悪い意味でも皆に注目の的である王室は、大なり小なり見かける機会がない方が珍しいという部類まで及んでいた。
時は瞬く間に流れた、ND2021。
老年とはいえインゴベルト陛下善政の元で、息女であるナタリア姫も才が高い。
数年前に起こしたナタリアの偽姫騒動も収まった中でゴシップの餌食になるのは、ファブレ公爵家の方になってしまったのだった。
アッシュとしては、こんな記事…何を今さらな印象が深すぎた。
何しろ、自分もルークも4年前にエルドラントで死亡したことになっているのだから。
直接見たことはないが、ファブレ公爵邸には高々と墓石もあるらしい。
それなのにようも憶測や推測で書き続けられるなと感心する。
しかも、あまりにうまく外れているから、僅かな苦笑さえもたらしたくなる。
彼らの捜しているルークは、もうどこにもいない。
そしてアッシュという人間も、世間に接する機会は過去にも未来にもないのだから。
預言の発展を促してきた側面もあるゴシップ紙に好意を抱くことは一度もないだろうなと、思うだけなのだ。
「騒ぎになると感づく人間が出てくるかもしれないと言っているんです。全く…私はこんな危険なこといつまでも続けるのは嫌ですからね。」
少しヒステリー気味にディストは声を上げた。
そもそも自分は、念願だったネビリム先生のレプリカ作成に失敗し、グランコクマの牢獄やらやっと抜け出して自由な身になった筈だったのだ。
しかし1年前、密かに研究していた施設で、このアッシュに捕まった。
神託の盾騎士団員の幹部や六神将しか知らない場所で、悠々自適にいた油断が最悪の形になってしまったのだ。
「わかっている。それで、フォンディスクは復元できたか?」
「ええ。大変でしたけど、ここに。21年前、ルークレプリカを作成した時のデータです。」
ディストが取り出した円形のフォンディスクは、輝く。
「ようやく、か…」
感慨深くアッシュは言葉を吐きただす。
本当に、ようやくここまで来たのだ。
年数としてはたったの1年かもしれない。
だが、アッシュはこの1年、ルークレプリカを作成することしかしていなかったのだ。
長かったと言っても決して過言ではないだろう。
「これを復元する時に、あなたが急げと言うから機材が足りなかったので、グランコクマの研究所へ忍び込みました。もしかしたら、既にあなたの存在はジェイドたちに視認されているかもしれませんよ。」
眼鏡の位置を微妙に直しながらディストはそう言う。
「構わないさ。知ったところで、もう何も出来ない。手遅れだ。」
かつてのルークの仲間たちは、アッシュに取っても仲間というわけではない。
たとえ、この身に大爆発現象が起きてルークの記憶が残っているとはいえ、意志の主導はアッシュ一人なのだ。
助けを求めるつもりもないし、何かをして欲しいとも思っていなかった。
「本当に、これでまたルークレプリカを作るんですか?これ以上やったら身体が持たないと前から散々、私は伝えましたからね。」
「ああ、今回で終わりにするさ。準備を始めろ。」
そこまでしっかりとした声がかかると、ディストはやれやれと観念して作業に取り掛かった。
それにしても自らの名のついた、ここワイヨン鏡窟では簡単すぎるほどに準備が整ってしまうものだ。
フォニミンの結晶体を所定の比率通り用意し、機械にフォンディスクを入れ込む。
試しにディスプレイに開いて見た、遺伝情報は良好だ。
そして一番重要な、膨大な量の刷り込み情報を入れ込む。
これがこの1年間にアッシュが作り上げたものの全てだった。
この、人の記憶というひどく曖昧な物の中に宿る、ルークの仕草・しゃべり方・思考にいたる全ての動作を情報としてこと細かくデータに残した。
そして自分の身体からもレプリカ技術を応用して、抜き取り続けた。
だからこそ、アッシュが急いでいたのに理由がある。
自分の情報を使ってルークを作り続けるのだ、記憶とは段々と薄らいでいくものである。
一秒でも早くを望むしかない。
そのあと、自身に訪れる副作用をわかりつつも。






「それでは、はじめます。」
「わかった。」
身体を鍛えている筈のアッシュの足が移動の際に、不自然にやや揺れた。
もはやレプリカ情報を抜き取った影響は色濃く出ている証拠でもあったが、それでも気にせず構わずに、白く丸い大きな台の上にアッシュは横たわる。
傍から見れば診療台なのかもしれないが、これがレプリカを精製する機械なのだ。
初めて完全同位体としてルークレプリカは、コーラル城で作られた。
状況は違うとはいえ、ここワイヨン鏡窟では大地をも作り上げようとした巨大装置がある。
より精巧に間違いのないようにと被写体はアッシュ中心に照射するのだ。
ディストは、その場から少し離れた場所で操作パネルを次々と操る。
音を立てながら、始まった。
各音素を測る装置のメーターが急激に上昇する。
特に第七音素の上昇が激しいが、これは想定の範囲内で、順調に進んでいる証しでもあった。















目を閉じた記憶はなかったが、いつの間にか身体がどこかへ持っていかれたらしい。
こうやってルークレプリカを作るのは何度目かでもあるのに、やはりこの瞬間は慣れるものではないとアッシュは思う。
意識が戻った。
視界が開けたということは、終わったのであろう。
見上げる真上には白い照明が照りつけるばかり。
身体はだるいというか、動かすのもやっとの部類にはいるが、それでも無理やり身を起こした。
ああ…アッシュの隣に横たわる無二の存在がそこにいたのだ。
そっと、その左頬に手を添える。
最初は冷たくあったが、やがて暖かい温もりが確かにそこにある。

「ルーク…」
狂おしいほど切ないその名をアッシュは読んだ。
ゆっくりと開いた瞳の色は、もちろん同じ色だった。
姿かたちも全て。あと、必要なものは…



「あれ、どうしたんだ。アッシュ?」
いつもの、ルークの様子でその言葉がかかった。

作り上げたルーク・フォン・ファブレは、自分好みに育てた人形のように出来あがったのだ。
これは、酷い自己満足の証だとわかっている。
そしてあれほど嫌悪したヴァンと、結局やっていることは同じだと知っていても、やらざるを得なかったのだ。

遠くからその様子を見ていたディストは、邪魔ひとつせずに静かにその場を去った。









◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇









それからどれだけの年数が経過したのかはわからない。
忘れたくても忘れられないからこそ近づかなかったディストが再びワイヨン鏡窟に訪れたのは、あの日から数年…いや数十年後だったかもしれない。
そこには、既にオリジナルもレプリカもいなかった。
死した彼らはこの場でしか生きられないし、外に出るつもりもないだろう。
だから、いなくなったわけではないと、確かにそれしかわからない。
ただ、ほこりをかぶったまま、生活していた様子がそのままの形で残っていた。
まるで先ほどまで食事をしていたかのような、食器の並び。

アッシュとルークは生きていた。
それが短いのか長いのかまでは、知りゆくものはいない。
たとえ、たった一瞬の為だろうとも。
生きた時間など、もう問題ではなかったのだから。










乖離は、もはや死ではない―――


















アトガキ
2009/08/02

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