「アッシュ。今日から家族が増えましたから、仲良くしてあげてね。」 ある太陽が眩しいくらいの晴れた日は、いつもと変わらぬ日のはずで。 普段どおりにファブレ公爵邸に公務から帰ってきたアッシュを、玄関で出迎えたシュザンヌは開口一番でそう言った。 「母上…コレはなんですか?」 目下に入ってきた意外すぎるモノを見て、はしたないとは思ったがアッシュは思わず指をさしてしまったが、その指先は力強くはない。 母の言葉の意図を多少は読み取れたが、それでも心なしかその表情も少し引きつっていた。 「この子はね。ルークって言うのよ。」 至極当然のように微笑みながら、シュザンヌは言葉を返した。 その答えは別にアッシュが聞きたかったことではなかったのだが、どうやらそれが名前らしいという事実だけはわかってしまった。 「いや、そうではなくて…レプリカ犬ですよね?」 「そうよ。とっても、可愛いでしょ。」 冷静に言ったアッシュの言葉と相反するように、傍らに連れた人間の子供くらいの大きさの赤毛のレプリカ犬の頭を撫でながら、シュザンヌはにっこりと笑った。 続いてアッシュを見つめたレプリカ犬も、満面の笑みを見せた。 何だか酷い頭痛の種が飛び込んできたと、アッシュはしみじみと感じた。 突然とシュザンヌが連れてきた犬は、普通に飼われているような犬ではなくレプリカ犬と呼ばれる、人工的に生成された動物だった。 一応は人間と同じ容姿だが、耳としっぽのオプションがついている。 が、それだけであとは他の犬と大して違わない。 二足歩行はかろうじてできるが、言葉を話すこともできない。 ただ、吠えるだけ。 生成にバカみたいな金額がかかるため、世間的にはあまり浸透はしていないので、一般人はまずお目にかかることができない。 しかし、飼っていることが貴族のステータスとしての意味も多少はあるから、アッシュは過去に何匹か見たことあった。 見るからに、赤毛で緑瞳だからファブレ家にふさわしいという理由でこのレプリカ犬が選ばれたのだろうが、ルークと名づけられたレプリカ犬は、気弱で番犬として連れてこられた割には全くその役目を果たしていなかった。 新しい使用人とすれ違うたびに、びくびくとする姿を見せられて、 「使えないやつ。」 と、ルークの目の前でアッシュは、はき捨てるくらいだった。 外からたまたま屋敷に来たガイなんかはルークをとても可愛がっていたりしたが、それじゃあ番犬じゃねえだろと、内心毒づく。 第一、吠え方ひとつとっても、全然頼りない。 猫なで声にしか聞こえなかった。 それに、レプリカ犬は生まれつきそこそこの知能があるはずだが、こいつはどうも頭が悪そうだった。 そして、ルークはアッシュにやたらとまとわりついてくるのが、一番意味がわからなかった。 こんなに冷たくあしらっているのに。 見下ろして、「ついてくんな。」と言ったこと数十回。 しゃべれないくせにやたらと表情豊かでくるくると周囲を回ったりして、とてもうざかった。 屋敷には使用人がたくさんいるが、家族と呼べるのはファブレ公爵とシュザンヌとアッシュの三人きりだった。 身体が弱いシュザンヌにはそれ以上を求められないとはわかっていたし、十七歳になったアッシュは公務に急がしくてあまり屋敷いられないから、母が寂しい思いをしていることはわかっていたが、それの結果がこれか? 母には悪いが、ルークのような出来損ないのレプリカ犬が家族とはとても思えなかった。 まあ…別に視界に入れなければいい。 そう考えることにして、その日は何とか床についたのだった。 ◇ ◇ ◇ 《アッシュ!アッシュ!!》 身に重さを感じたが、それ以上に甲高い声がアッシュの頭に響いた。 寝起きが悪いわけではないが、頭の中からガンガンと伝わる声は非常に耳障りだ。 誰だ?と思いつつベッドから身を起こしたが、次の瞬間にその視界に飛び込んできたのは 何故かルークだった。 アッシュが上半身を上げたことでベッドから落ちないようにと、踏ん張っている。 だが表情はとても嬉しそうに、起きたことを喜んで、耳もしっぽもふりふりと動いていた。 「何でてめえが、ここにいる?」 超絶にいらつきながら不機嫌そうに、アッシュは低く声を出した。 レプリカ犬が自分の言葉を理解できているとは思えないが、そう言いたくなる状況だったから。 ここは間違いなくアッシュの私室であり、レプリカ犬如きが軽々しく入ってよい場所ではなかった。 というか、さっき名前を呼ばれたような気がしたんだが…どこからか降ってきた空耳か夢の名残かと考えこむ。 そんな中。 《ごめん…勝手に部屋に入って。》 また、その声がアッシュの頭の中に響いた。 今度は申し訳なさそうに、しゅんとした音程だった。 はっと気がつき、続いて驚いて、アッシュは目の前のルークをよく見てみた。 その口は確かにわんわんと動いているし、アッシュの耳には実際に吠えている声も聞こえている。 「どういうことだ…」 この会話の成立は、一体何なんだ。 どうして、頭が痛いくらいに声が聞こえる? 《やっと、わかってくれた?良かった。》 安堵しながら、ルークはアッシュへと語りかけた。 少し沈んでいた表情が瞬く間に回復する。 「おまえ…会話ができるのか?」 呆然としながら、目の前にふってきた事実を確かめてみる。 突然すぎるしレプリカ犬の常識を覆しても、そのようなことはあり得ないですまされるようなことだった。 《うん、そうだよ。俺はスパイだから。》 「はあ?………スパイ。」 無邪気に返したルークの言葉に、悪意は1ミリも見受けられなかった。 コン コン コン 「アッシュ様、失礼します。ルーク様をご存知ありませんか?」 朝もそこそこの時間帯となり、アッシュの部屋がノックされて、飛び込んできたのはメイドの声だった。 ルークはただのレプリカ犬で番犬なのだが、シュザンヌが家族認定をしたので、ほかのメイドたちは“様”付けをしているのだった。 「あ…ああ。」 頭の中の整理がつかないままであったが、アッシュはらしくない返事を返した。 その言葉に反応して、メイドが一礼をしながら部屋に入ってくる。 「まあ、ルーク様。こちらにいらっしゃったのですね。奥様がお呼びですから、参りましょう。」 目的のルークを見つけて少し小走り気味にメイド駆け寄った。 そして、ルークを掴んで急いで部屋を出ようとする。 《嫌だ!俺はアッシュのスパイなんだ!!一緒にいるー》 そう、アッシュの頭の中にまた聞こえたが、メイドにはただルークが吠えている声しか届いていないらしい。 いつもより必死に吠えているルークを連れて、あっさりと出て行ってしまった。 普通……自分がスパイとか言うか? それ以上に、自分にしかルークの声が聞こえていない事実を知ったアッシュは、余計に頭が痛くなったのだった。 アトガキ つづきません(笑) 色々と細かい設定は作ったのですが、だらだらと長くなるので割愛しました。力不足。 2007/06/22 menu |